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第3話 発酵(後編)

サヴァ?
サヴァのスリッパ?

猛烈な暑さのあとに巨大な台風がやってきたと思ったら、秋がそこまで近づいている。わたしも次の仕事が迫っていて、退屈だ、なんて言っていられないのだが、どんな1日にも自由な瞬間はある。たとえば朝、ベランダ栽培中のナスに水やりして新しい葉先につぼみを発見する瞬間や、サングラスをかけて歩く道の途中で自転車のおじいさんに「暑いね〜」と声をかけられて驚く瞬間なんていうのも、比較的自由で隙だらけな気がする。

最近のわたしのひそかな楽しみは、出会う人に蛸のイラストを描いてもらうこと。銀座のリュクスなレストランで楽しむ素敵女子会でも容赦はしない。その日わたしは夏風邪で声はガラガラ、食欲も半分というありさまだったのだが、デザートが出てきたとたん、ここぞとばかりに紙を差し出して素敵女子たちに「アサイさん、具合悪いのに、蛸のイラストのために来たでしょ〜」とにらまれた。そうじゃないけど、そうですけど、何か?

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えー、とか言いながら、意外とみなさん嬉々としてペンを手に取る。ところで、わたしは発見したのだが、蛸の絵を描く時は、意外と性格が出る。多くの人がまず頭の曲線を描く。その次に足を描きながら、たいてい「1、2、3、4、、、」と声に出して本数を確かめる。チエコさんは途中で数えてしっかり8本。ノブコさんは7本描いて、あれ?と言い、こっそり後ろに1本追加。デザイナーのミサコさんは大胆に7本描いてから初めて数えて、ヨイショと上に1本書き足した。さすがミサコさん、、、、自由だ。

さて、前回は発酵の話でした。
ぬか漬けは、どうなるのか?
アミノ酸と微生物の話は教えてもらえるのか?
気になりますね。

ぬか床は、いいコンディションになるかなり手前で、冷蔵庫の野菜室に眠ったまま夏を過ごしまして。前回「捨てちまえよ」と言われたのに、そんな勇気も持てず。

それで、アミノ酸と微生物の話って?

「言っておくけど、ぬか漬けは関係ないぞ。おれの言うのは、植物の話だから。植物にもアミノ酸、旨み成分があると言われているんだが、それがいったいどこから来るんだと思う?」
悪友は試すように問いかける。この男はいつもこうだ。植物のアミノ酸がどこから?そんなことわかるわけがない。園芸店でアミノ酸資材というのなら見たことがありますよ。肥料のようなものでしょう?

「アミノ酸資材は肥料じゃない。微生物のえさだよ。植物には消化器も筋肉もないから、アミノ酸を直接食べることはできないだろ。でも、微生物が何段階にも介在して、栄養を得ているんだ。エンドファイトって知ってるか」
エンドファイト・・・・。難しすぎないか。

「そうかな。植物のまわりには放線菌と糸状菌というものがいて、糸状菌は土壌病原菌といわれているものたち、それを抑え込むのが放線菌。これらの勢力分布、力関係で、植物の成長が左右されるんだ。つまり、植物の栄養摂取が阻害されるんだな」

わかった、それは腸内細菌の善玉菌、悪玉菌、日和見菌のようなものでしょ? それなら、わたしがいま一番ホット!だと思っているテーマ「腸内細菌」に似ている。腸内細菌は何がすごいって、たんに栄養を分解摂取しているだけでなく、脳に対して味覚や食欲の指示も出しているにちがいないと、わたしは考えていて、食べ物の好みも腸内細菌が決めているとさえ、思うぐらいだ。

「そうだな。菌の世界は深い。善玉菌というのは人間が決めてることだが、善玉菌100%という世界はない。すべては拮抗、バランスでできているんだ」
めずらしく感心したように言うと、悪友は「で、ぬか床は?やめるんだろ?」
と突然聞く。わたしが口ごもると、彼はわかった、と言って電話を切ってしまった。あ、ちょっと!終わり?アミノ酸は〜〜??話のオチはどこへ〜〜?

しばらくして、彼から短いメールが届いた。
ぬか床を例のリゾートホテルのシェフに送るように、と書いてある。諦めの悪いわたしを見かねて、ひそかに交渉してくれたらしい。お礼の電話をかけると、
「ぬか漬けにしばられてたら、きみは自由じゃなかっただろ」
と言う。アミノ酸と微生物の話も、投げかければわたしのことだから調べ始めて、ぬか床から興味が離れるだろうと思ったということだった。

これから涼しくなるから、きっと発酵食品には良い季節。おいしくなって、あの地で健やかに育ってほしい。ホテル名物になったら「蛸のサンダルぬか漬け」、いや、長いから「蛸サン漬け」と名乗ることを許可しよう。そうだ、きっとそれがいい。
発酵実験は、これにて終了。

おまけ。
ところで、このコラムでは、蛸がサンダルをはいたイラストをゆるーく募集しています。下記は見本。わたしがサムライバーテンダーと呼んでいる硬派な坂本龍彦さん(Bar Lag オーナー/銀座)も、「まったく」と言いながら描いてくれました。意外とマンガチックな蛸サン。

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行く先々で、お願いすることがあるかもしれません。その際は何卒よろしくお願いいたします。


著者プロフィール
月刊連載『蛸のサンダル』毎月6日公開
icon_asai浅井 裕子

出版社 柴田書店勤務。外食業担当からキャリアをスタートし、料理技術、宿泊業、製菓製パンなど幅広いジャンルをカバーする食の編集者。パティシエの小山進さんや辻口博啓さんの書籍などを担当。「mook 洋菓子材料図鑑vol.4」編集長、「mook The Coffee Professional」編集長など。趣味はベランダ園芸。今夏はジャガイモとナスを栽培中。