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セリーヌの転々から点々 - 無惨の果ての夜の沈黙と静寂の喧騒をめぐって -

 フランス語の勉強を始めたころ、1970年代、文字を拾い集める私の目前から胸中へと、足繁く往来を続けたのは、ジュネ、アルトー、ルーセル、セリーヌの四者だった。無論これ以外にも立ち並ぶ。バタイユ、ブランショ、数あるシュールレアリスト、クノーやボリス・ヴィアン、マンディアルグ・・・・最後に立ちはだかるのは、内面ではなくその外皮に、長く近づきがたいものを漲らせたプルースト・・・・
 当時、ジュネについては翻訳が出そろっていたが、アルトーは白水社の『演劇と形而上学』に加えて、現代思潮社から全集の第1巻が出たものの、以後は頓挫する。私が卒論のテーマに選んだレイモン・ルーセルについては翻訳など皆無、辛うじて豊崎光一が訳したフーコーのルーセル論が見渡せるばかりだった。思えばフランス文学と言って、19世紀のお歴々については行き届いた紹介が積み重ねられていたのだが、20世紀の「現代作家」についてはまだ道半ば、いよいよこれからだった。そんな中にルイ-フェルディナン・セリーヌもいた。1932年に発表された衝撃のデビュー長篇『夜の果ての旅』だけが、あの東京オリンピックの年(1964)、中央公論社の「世界の文学」42巻に収められたが、第二の長篇『なしくずしの死』は同じ生田耕作の訳で集英社から公刊されようとしていた。私はこの2作に魅了される。たとえば『なしくずしの死』の冒頭・・・・

「私たちは相も変わらず、かくまでも孤独だ。何もかもが、のろまで、重くて、痛々しい・・・あっという間に私も年を取る。挙句の果てに終末を迎える。ずいぶんな数が私の部屋には押しかけた。色んなことを口走る。ろくな話じゃない。そして出ていった。かれらは齢を重ね、悲惨を極め、この世の片隅に一人ひとりが重くのしかかる。」(蜷川拙訳)

 作家はいっときパリの下町、場末の開業医だった。だからこの「私の部屋」とはどう見ても診察室だろう。半自伝的な2作の長篇は、俗語・卑語を縦横にめぐらせる画期的な表現手法を携え、破格の成功を収める。だけれど、第二次大戦をはさんで作家自身の境遇は、複雑にも悲惨を極めていく。まだ終戦前の1944年、あのノルマンディ上陸作戦の最中、反ユダヤ主義の「対独協力者」だということで、押しかけた暴徒により、自宅から作品の原稿が持ち去られている。身の危険を感じ、急いで国外にのがれるが、デンマークをめざした経由地であるドイツで収容所に送られる。ベルリン陥落後は半死半生の状態でコペンハーゲンに移るが、そこでも「戦犯」として逮捕、収監。「国賊」「人類の敵」などと罵られるフランスでは、戦後5年をへた1950年に「対独協力戦犯」として有罪が確定する。セリーヌはその翌年まで国外の各地に、「敗残」とも言われるべき亡命と窮乏の〈転々〉を余儀なくされた・・・・
 長くフランス国内では、語ることもご法度(タブー)といったもてなしが続いた。
 しかし私には、彼から授けられたもうひとつの「てんてん」がある。それこそがセリーヌの文体における〈点々〉である。
 上の翻訳にも片鱗がのぞく。「すべてが、のろまで、重くて、痛々しい・・・あっという間に私も年を取る」。この中途の〈点々〉。それがこのあとページを重ねるにしたがって増殖する。それこそいたるところに。それじゃ原稿の水増しによる原稿料の嵩上げ狙いか、などと穿った見方も投げかけられそうだが、私はそうは思わない。これはある意味、文学の新たな自己主張かもしれぬ。これほどに頻繁な破線の挿入は、学術論文はもちろんジャーナリズムの通信記事としてもありえないだろう。そんなことができるのは、気ままな、しかし精密な創作表現の舞台のみである・・・・静寂のうちに繰り返されるそんなセリーヌからの声に、私はいつも耳を傾けようとしてきた。そして自分の創作においても、使用頻度の問題ではなくて、表現のひとつの指標としての〈点々〉に、より注意を傾けるようになっていった。挿入の位置、生み出される空白の価値、影響ないし拘束の力、ふと醸し出された愛情、どうしても注がれてしまう温情、つねに冷酷なる未練・・・・など、など。さらには〈点々〉の点そのものをいくつにするのか、私の場合のレギュラーはセリーヌよりも1つ多い4として、その上下の「イレギュラー」をいかに用いるべきか、さらには同じ4個の〈点々〉の担う時間の長さについても、文脈にしたがってそのつど敏感に考慮することになった。同様の模索と気配りは、たとえばセリーヌよりも下の世代で、同じフランスのヌーヴォー・ロマンを代表する女性作家、ナタリー・サロートの作品にも見受けられる。
 パリ郊外のムードンに眠るセリーヌは、こんな私の「妄想」をいまどのように受け止めるのか。私は決して瑣末な事象にはあらずと心得ている。少なくとも、この私自身はね。

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著者プロフィール

mensuel『一路多彩 -pluralité unique-』毎月10日公開
nina蜷川泰司(にながわやすし)

1954年京都市に生まれる。文芸作家。1988年の海外渡航時前後から、本格的な執筆を開始する。2003年に最初の長篇『空の瞳』(現代企画室)でデビュー。空中都市を浮かべる大がかりな町で、死刑囚との面会に出かける主人公が遭遇する叙事詩的な一夜を描き出す(著者とル・プチメック今出川店との邂逅はこの出版の少し前にまでさかのぼる)。2008年には、かつて在住したオランダの町を舞台に、対話的文芸論『子どもと話す 文学ってなに?』(現代企画室)を上梓。

2013年の作品集『新たなる死』(河出書房新社 全国学校図書館協議会選定図書)には12作の短中篇を収めるが、その冒頭を飾る「コワッパ」の執筆にあたり、2005年の秋にはル・プチメック今出川店からのご協力をいただき、店舗への取材を重ねている。

今世紀に入り、第二の長篇『ユウラシヤ』に取り組む。作品は架空の大陸に層をなす黙示録的な時間をたどり、哲学者スピノザからの謎めいた暗示と影にも付きまとわれる。2015年9月、そのプロローグにあたる『迷宮の飛翔』(河出書房新社)を発表。そこには風間博子によるオリジナル挿画16点が掲載されるが、彼女との直接のやりとりは、事情があって今日もなお認められていない。『新たなる死』を受け継ぐ作品としては、群章的な中篇作『ヒトビトノモリ』を構想中である。