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不定期気まぐれ刊行 vol.4

新しい取り組み

人生とは全く予想もできない事の積み重ねだ。
それを試練というのか短い人生の刺激として神がお与えるになるのか
年を重ねた今もわからない。

私は西湖の畔でCAFÉ Mを経営していた時に様々な業種の方々と知り合うことができた。それが客商売の醍醐味なんだとも思う。

その中で私の現在に至るまで最も強烈な影響力のある伊藤雅俊氏(セブン&アイホールディングス名誉会長)に出会ったことが事の始まりだった。

私は伊藤名誉会長には1999年山中湖の友人のパーティーでお目にかかり、彼の娘さんがかつての会社での後輩だった事もあり私をも娘のように可愛がってくださった。私は性格上どんなに偉い方でも物怖じせず話ができるという特技のようなものがいつの間にかそなわったらしい。 自身では全く自覚はないが。 そんなきっかけから伊藤名誉会長はCAFÉ Mに毎週のように様々な方といらして下さり、東京でも仕事に関係するお話をさせて頂いたりしていた。そんな2006年の夏に(株)伊藤景パック産業の社長(同じ伊藤だが親族ではない)にアドバイスして欲しいとの依頼があった。

これまでファッション業界の中だけで育ってきた私だが、パッケージ業界の知識もなく(株)伊藤景パック産業の伊藤社長とお会いする事になった。先方も私も全く別の世界の人間で互いに良い驚きがあった。

そこで依頼されたのが 「現在、創業100年の会社でありプラスチック製のデザートや惣菜のパックを大量に作っており企業のOEMも請け負い、イタリア製のパンやケーキの紙の焼き型なども扱っている会社だがどれも黒子の役目である。できれば準主役の様な扱いをされるものを提案してもらえないでしょうか?」

私はそれを持ち帰りしばし考えた。 
ふと私は CAFÉ Mや表参道のMONTOAKで仕事をしていてパーティーも沢山仕切っていたので裏方の仕事の大変さは十二分に理解していた。そこからの経験や、様々なパーティーへの出席でいつも気になっていた事があった。

日本には四季があり、自然への畏敬の念を日本人は昔から料理や器に込め、それらを表現する美意識を受け継いでいる。
そんな人種は稀だが、我々は当たり前にそれらを受け入れ自らも表現できるポテンシャルを子供の頃より持っている。

そんな美意識の高い日本人なのに既存の悲しい紙皿で食事するのは残念だ。それは致し方ないと思って使っている人が大半だったし、疑問も持たない程それは浸透していた。確かに安価でもあるし洗う必要もないので大量にどこでも使われていたのが現状だ。

そこで自然環境に配慮したスタイリッシュな使い捨ての紙皿があったら良いのに。 と、ひらめいた。今から10年前になる。そのころエコであるとか、ロハスとか世の中が少し自然環境に対し意識を持ち始めた頃だった。

その新しい紙皿の考え方を(株)伊藤景パック産業にプレゼンした。
石油系の商材は近い将来無くなっていくか規制されるはずだ。
それらの価格競争をしていくのは無意味であるし、企業のイメージアップを図るのは環境面に配慮した商品を作り出すことだと。
伊藤社長は即決で「これは最高に良いアイディアだ、やりましょう。」と。

そして2006年夏の終わりから私のチャレンジが始まった。
世の中にないものを考案し形にしていく仕事は生まれて初めての事で何をどうしたら解ってもらえるのかロジカルに組み立てなくてはならなかった。

時代の流れを察知し、社長だけではなく、社員にも理解してもらい新事業への協力を促していこうと最初の2ヶ月くらいは会社で私の考えや世の中の動き、スタッフの感じている事などをヒアリングし、意識改革と信頼関係を作っていった。ただ私のいたファッション業界とは全く違い単語一つ理解してもらえない状態だったので、頭をひねり、私が言わんとするものは具体的に参考になる物を見せることで解決するのではと。
「百聞は一見に如ず」 だ。

その頃日本の海外での認知度はすでに確率していて、特に和食に関しては、他のアジアの国とは一線を引く高級感やナチュラル、ヘルシーイメージをもっていた。それと共にアートや文化においてもかつての「富士山&芸者」 という古臭いイメージはオピニオンリーダー達にはなく もっとモダンでシンプルなデザインに匠の技が備わっている最高峰の物を作りだせるという認識だった。

私はそれを理解して欲しかった。

丁度、緒方慎一郎氏が経営するレストランHIGASHIYAMA TOKYO、
そして和菓子屋のORI HIGASHIYA がオープンした頃でそれは私が考えるJAPANESE MODERNのコンセプトそのものだった。

ある日 ORI HIGASHIYAに緒方慎一郎の表現する和菓子、それを包むパッケージ、それを販売する店の佇まいを社長やスタッッフにその空気感を実際手に取り味わってもらう事で私の言わんとする事が理解してもられるのではと店に行った。そこにたまたま緒方さんがいらして
「三千代さん何してるんですか?」 と。 私はこれは運命だと
「緒方さん私が今考案しているプロジェクトを一緒にやらない?」  
「いいですよ!それは僕も考えていた事ですから」 

そこから緒方さんとブランディングの全てを一緒に構築し、具体的に試行錯誤を重ね3年という月日が経った。 

 伊藤社長や専務は本当に耐えに耐え一緒に頑張って形にしてくださり緒方さんデザインによる最高なものが出来上がった。
クリエイティブディレクター緒方慎一郎、コンセプト、プロデューサー田辺三千代として2009年の秋口に発表したのが地球環境に優しくディスポーザブルでスタイリッシュな紙皿「WASARA」が誕生した。
http://www.wasara.jp

最初日本のバイヤーは使い捨ての紙皿で既存の10倍の価格の物に対して冷ややかな目線で遠まきに見ていた。そういう文化がまだ浸透していなく、それはモッタイナイと。

私はパーティーシーンやイベントシーンでの想定には欠かせない物だと自信があった。
なぜならば、何百、何千、何万のお客様への提供にレンタルするお皿は小皿一枚最低でも100円(WASARAの大皿の値段、業務用だと価格はもっと下がる)で、ガソリンを使って配送され、洗って返し、割ったら弁償、しかも重たい。

バックヤードは大変な思いで仕事している。しかもガーデンのような水場がないところでの大きなパーティー、インドアーでも厨房が狭いところ等は過酷だ。そんな時にスタイリッシュなWASARAを使えばお料理も既存の紙皿と違い素敵に表現でき、何より耐水耐油材は最小なのでそのまま土に埋めても90日で土に還り、そこから芽も出るほど安全なサトウキビの搾りかすと竹パルプでできているからエコだ。

たとえばお子様がいるお宅でのパーティーはWASARAだと気を遣わなくても良いし、主婦は後かたずけに手間をかけなくてすむからお友達を迎えても気兼ねがない。 病院へのお見舞いにお菓子や果実と共にWASARAを持っていけば味気ない病院でのひと時を楽しめる。
などなど想定する場面は使ってくださる人の工夫で素敵になるのがWASARAだ。  

WASARAはあまりにも美しい形状のためどうやって使ったら良いのか
わからない等、初めて触れるものに驚異を覚えた日本人。

そんな時、パリのコンセプトショップ MERCIがオープンするのでWASARAでケータリングパーティーをし、お店でも販売したいというフランス人からオファーがきた。
我々はまだ量産の最初の段階に入っていて、完璧主義の緒方さんは首を縦にふらなかったが私はまたとないチャンスだと直ぐになんとか
工場で生産を間に合わせるよう指示をし、パーティーまでに間に合わせ そこからは皆さんがご存知のように世界中に広がっていった。

WASARAは現在アメリカが一番のシェアをもち、ヨーロッパ全体と
韓国、台湾、タイ、シンガポール、インド、等のアジア、そして
ドバイ、アラビア等の中東へ広がっている。
最近は日本でもケータリングやイベントにも欠かせないアイテムとなっていっている。ありがたいことだ。

私は昭和の戦後少し豊になり始めてきた時、まだまだアナログの物売りや人と人の繋がりによって商売している店が多かった時代に生まれた。豆腐は鍋をもって買いに行き、肉屋や魚屋はわら半紙か経木で包んでくれ、八百屋は新聞紙に、それを持参の買い物籠に入れて持ち帰り、生ゴミは家畜の餌、糞尿は堆肥に。そんな循環型リサイクルは昔の人の知恵が詰まっている。それを見てきた私の仕事は今に繋がっている。

その時代プラスチック製品は日常生活には浸透していなく、現在のようなレジ袋などありえない暮らしだった。そして中学生の頃から高度成長期真っ只中になり、躍らされ、そこからの世界経済はみるみるうちに成熟し、そして挫折していくというシナリオだ。そんな浮き沈みの世の中で浮かれていた私でもあるが、この10数年でそれはもう笑えないレベルまで地球存続は危機感を覚える状態までになった。

物質的に豊な生活がおくることができるのはその裏返しともいえる地球環境は最悪な状態にまで悪化してきている。地球上で一番の悪は人間だということと、この美しい地球に住まわせてもらっているという認識も謙虚さもなく、どんどん汚していっている人間。

私はできる範囲で社会貢献と意識改革ができるプロダクトを生み出すことがせめてもの恩返しとし、
これからも新しいプロジェクトに携わることができたらと強く思っている。

現在WASARAとは別に広島の原爆記念の像に年間10トンの世界中から贈られる千羽鶴を使い何か考えて欲しいとの依頼が3年前にあり、昨年は丁度原爆投下から70年という節目でもあったので考え出した千羽鶴をリサイクル紙にしたFANO。http://www.fano.jp
これは団扇のような扇子のような平和の風を送るものを作り広島市に寄贈し、式典では海外からの要人にお配りし、使っていただけた。

FANOは現在少しずつ広がっており、我々が絶対忘れてはならない広島と長崎の原爆投下の事実をそれによって今の若い人にも知ってもらいたい。なぜなら、それらの犠牲による終戦であり現在の日本があるからだ。

長いようで短い人生。私にできることも時間も限られてきている。
生きていくうえで何が一番大切なのかその人その人によって違うが、
私という人生を悔いなく生き抜くのが自分らしいと思っている。

ここまでVOL 1からこの VOL 4まで読んでいただき
ありがとうございました。   
また元気でいつか次回が書ける様な人生になっていると幸いです。
                             終わり。

 


著者プロフィール

『私のしてきた過去、現在。』不定期きまぐれ刊行 
icon_tanabe田辺 三千代

静岡県生まれ。
文化服装学院デザイン科卒業後パリ遊学。
アパレル会社プレスを経て1984年メンズデザイナー菊池武夫と共にTAKEO KIKUCHIブランドをチーフプレスとして支える。
1999年山梨県西湖にCAFÉ Mをオープンさせそれまでマイナーなイメージだった西湖を内外から認知された。
2002年(株)ジュンのPR室顧問として2010年まで在職する。
2005年既存の紙皿には和食は似合わないと発案し、WASARAブランドをプロデュース。現在世界中で販売されている。http://www.wasara.jp
2012年5月マガジンハウスから出版された「菊池武夫の本」に深く関わる。
2012年11月菊池武夫の旗艦店オープンに伴いキュレターとして参加。
2015年4月より広島の原爆の子に世界中から贈られる千羽鶴をリサイクル紙にし作った扇FANOを発案プロデュース。8/6の式典に寄贈し現在(株)カミーノと共にビジネスを進行中。www.fano.jp