bn_asai

第6話 コーヒーブレイク

2015年の初めは『ザ コーヒー プロフェッショナル』というコーヒー専門のプロ向けムックを制作していた。コーヒーをテーマに深く入り込むのは初めてで、前年の秋頃からリサーチを開始。リサーチは何をするかというと、もちろん話題のコーヒー店には行くのだが、それだけではわかることは少ない。わかりたいのは、そのお店の商品がおいしいかどうか、だけじゃないからだ。

で、まずスターバックスの一般向けエスプレッソ初心者セミナーに申し込んでみた。あれはまだ暑さの残る頃。もちろん身は明かさずに、初めてのエスプレッソ抽出、ラテアートにも挑戦してみた。楽しかったのと、まだ形にならない疑問の種が生まれたので、同じ家庭用マシンを買い込み、毎日エスプレッソを抽出してみることにした。毎日コーヒー店をめぐるのだから、買い込んだ焙煎豆を自分で淹れてみたら、何かわかると思ったのだった。ペーパードリップ、直火にかけるマキネッタ(エスプレッソ器具)、ナポリ式コーヒー器具、ベトナムコーヒー、何でもやった。でもやっぱりエスプレッソとラテアートが難しかった。たくさん失敗して、参考文献も読み漁った。

わたしはバリスタになろうとしたわけじゃない。上手になりたかったが、自分が不器用なのも知っている。「どうしたら失敗するのか?」「味がちゃんと出せる最適な条件とは本当は何か?」「焙煎や抽出方法の違いで味の何が変わるのか?」が知りたかった。
突然、毎日エスプレッソと下手なラテアートを投稿し始めたものだから、わたしのSNS友達は面食らったに違いない。仕事柄、中には業界の方もいて、のちに企画の扉を開いてくれることになる。

「あー、カラダかたいよね」
わたしのぎこちない抽出を見て、すぐさま指摘してくれたのは、小川珈琲(当時)のスターバリスタ、岡田章宏さん。華麗なパフォーマンスと笑顔で女性ファンを魅了する岡田さんは、後進バリスタ(ラテアートチャンピオンぞろい)を育ててきた方でもある。この人に誰かバリスタ志望者を指導してもらおう、という企画が、カラダかたい、の一言で決まった。エスプレッソ抽出の「姿勢」のページがこうしてできあがる。
あれこれ考えるよりも、人に話してしまったほうが簡単に決まるものだ。

c_asai06-1
岡田さんの蛸の絵。スターがきらめいています。コーヒー業界でのニックネームは「奇跡のバリスター」。

c_asai06-2

取材日、わたしが連れて行ったバリスタ志望の女性に岡田さんはサッと手を差し出し、「どうも!日本一人気のあるバリスタ、岡田です」と笑顔を見せた。素敵すぎる。
今年、岡田さんは小川珈琲を卒業され、11月23日に京都・烏丸四条にコーヒー店を独立開業した。店名は「オカフェ」。岡田とカフェをかけたそうで、銀行で開業資金の融資を受ける時、「この店の売り物は何ですか?」と聞かれ即座に「岡田です!」と答えたツワモノだけある。きっとファンが殺到するに違いない。
末長いご繁盛お祈りしています。

岡田さんがずっと尊敬し、バリスタ世界大会進出の先駆者として背中を追いかけていたのが、島根「カフェロッソ」門脇洋之さん。対照的に、非常に物静かな紳士で、シャイな方である。ところがいざエスプレッソを抽出となると、無駄のないエレガントな所作、豆のおいしさをびしっと引き出してくる正確性は名人そのもの。口数少ないトークもユーモアがある。門脇さんは世界大会で日本人初の上位入賞、しかも準優勝という記録を達成し、これは最近に井崎英典さんが世界一の栄誉を獲るまで、国内最高記録だった。いまでは大会出場よりも焙煎に力を入れて、カフェ経営を成功させている。『ザ コーヒー プロフェッショナル』では焙煎のちがいによるエスプレッソ抽出を検証する企画に協力していただいた。

浅煎りの豆と深煎りの豆では豆を挽くこまかさ(メッシュ)や、抽出時間をどう変えたらいいのか? そういうことをしたいんですと申し上げたら、門脇さんは驚かれて「あ、やっとそういうことを聞いてくれる人が」と短くおっしゃった。

c_asai06-3 c_asai06-4
門脇さんと、弟さんの裕二さん。裕二さんは島根の松江で「カフェ ヴィータ」を営んでいる、やはりバリスタさん。門脇兄弟として名を轟かせているが、お二人ともとてもお優しい人柄。それも根強い人気の理由なんでしょうね。

c_asai06-5
お二人の蛸のイラスト。展示会で立ちながら書いていただいたので、小さい。タッチはほのぼの。いずれラテアートでもタコを描いていただけるのでしょうか?と聞いたら、「いやあ、だめです」ときっぱり断られた(泣)。

エスプレッソは機械で抽出するので、バリスタさんはメカに強い方が多い。門脇兄弟も機械の話をし出すと止まらないが、彼らを上回って機械大好き人間なのがダブルトールカフェの代表、齊藤正二郎さん。齊藤さんはバリスタではない。エスプレッソのフィルターやらノズルやら、パーツまでつくって国際特許をとり、全世界に販売している発明家。バリスタを日本で初めて紹介したのが、齊藤さんだという。若い頃は世界のへき地をバイクで放浪していたという野生的なダンディで、しかし、実は名家のお坊っちゃまという二面性を持った方。セスナを操縦したり、ハワイにコーヒー農園を開墾したりと、スケールの大きな生き方をなさっている。齊藤さんとは、『ザ コーヒー プロフェッショナル』でエスプレッソマシン各社の抽出を比較するという、メーカー泣かせの企画をご一緒した。使い勝手、抽出のメカニズムのちがい、性能などに踏み込んで、齊藤さんと、彼の店のバリスタの大越さんと一緒に毎日チームで回った。あれはほんと言って、大変でしたね。

c_asai06-6 c_asai06-7
齊藤さんの蛸のイラスト。イージーライダー風味。ナイス。これだけみなさんが蛸のイラストを描いてくださっていると、本当にいつか展覧会ができるような気がしてくる。

いったい何が原動力で、あんなにコーヒーを飲むことができ、コーヒーについて毎日考えることができたのかわからないが、『ザ コーヒー プロフェッショナル』はコーヒーの本としては異例に売れる本となった(当社比)。これも全部、ご協力いただいたみなさんのおかげなのだと思う。


著者プロフィール
月刊連載『蛸のサンダル』毎月6日公開
icon_asai浅井 裕子

出版社 柴田書店勤務。外食業担当からキャリアをスタートし、料理技術、宿泊業、製菓製パンなど幅広いジャンルをカバーする食の編集者。パティシエの小山進さんや辻口博啓さんの書籍などを担当。「mook 洋菓子材料図鑑vol.4」編集長、「mook The Coffee Professional」編集長など。趣味はベランダ園芸。今夏はジャガイモとナスを栽培中。