大丈夫、AIは人間を超えない

それで、僕は人間の考えるという行為の内実に惹かれているのでした。(前回記事参照「あなたの隣人はもうAI、かも」http://lepetitmec.com/archives/12982/

2016年という激動の年も終わりを迎え、「人工知能」や「AI」という魔法の言葉のバズっぷりに冷や水を浴びせる識者や著名人らのコメントが増えてきています。

スタンリー・キューブリック監督の『2001年 宇宙の旅』や、ウォシャウスキー兄弟(現在は姉妹)のマトリックス3部作のように、人間を合理的思考で圧倒したり飼いならしたりする恐ろしいシステムのイメージが(わかりやすいので)根強いのでしょうね。

これは、MIT(マサチューセッツ工科大学)メディアラボ所長の伊藤穰一にバラク・オバマ大統領が先日語ったことですが、結局、人工知能とその諸問題を適切に考えるには汎用AIと専用AIの区別が必要であり、この違いにこそ、人間の「考える」ことの面白さと(今のところの)人工知能の限界があるといえます。

つまり、AIが活躍できる現状のフィールドとは、計算モデルに落とし込めるほど明確でかつわかりやすいルールに従う分野であり、コンピュータの機械学習ができるほど膨大な量の良質なデータが蓄積している(させられる)分野に限られるのです。

ですから、人工知能がチェスや囲碁の世界チャンピオンに勝ったからといって、HAL 9000のような人間同然かそれ以上の知能をもったAIの誕生が目前に迫っているというわけではありません。

むしろ、限定的なフィールドに特化した様々な専用AIにより、今の職業がマシンに奪われていくこと(多分これは、医師や弁護士といった高度な専門知識職の方が怪しい)、専用AIを応用したより効率的なシステムへの切り替えで世の中の仕組みやセオリーが様変わりすることの方が懸念すべきでしょう。

柔軟な頭と好奇心、ITスキル、そして、社会的な人間関係の基本を抑えたひとであれば、この変化の時代をうまく生き抜けるでしょうが、そうでないひと、特に先進国の中間層に位置する「波に乗れない人たち」は格差拡大に苦しんでいく可能性がきわめて高まっています。

もっとも、保守的な今の日本がそういったイノベーションをどこまで受け容れるかはやや疑問ですけど、ね……(もちろんそれは、国自体の生産性やGDPを諦めることと引き換えです)。

現実問題、今のAIは計算機上のシミュレーションという面を強く負っています。

前回の記事でご紹介した「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトの数学者・新井紀子さんが説明していたように、AIは問題を情報検索による確率論的なパターン認識で解いています。

私たちであれば、ネコ画像の「猫」をそれが何であるか(生態学的、解剖学的特徴などを、リアルな経験から)知ってはいますが、ネコ画像を抽出してくるよう機械学習したAIはあくまでピクセル上の特徴や違いで識別するだけです。

人工知能と私たちとでは認識や行為、着想の結果は同じでも、そこに至る仕組みが全然異なるのです。

だから、囲碁のAIは人間のセオリーを越えた奇手を打ち、レシピ開発のAIは人間の常識から逸脱した食材の組み合わせを披露するのですね。

人類は、自分たちに限りなく近くて遠い「隣人」の存在を古の神話の頃から語り継ぎ、想像し、己の来し方行く末の謎を穴埋めしてきましたが、それと同じ想像力が私たちのロボット(昔の言葉でいえば、オートマトン)への情熱を駆り立てています。

今後3年程度の現実問題としては、私たちに限りなく近くて遠い汎用AI幻想を捨て、専用AIの百花繚乱をいかに賢く生き抜くかが勝負になります。

とはいえ、視点を変えれば、人間の知性とコンピュータの計算能力との深い溝を乗り越えることできれば、汎用AIの実現も全くの夢ではなくなります。

そのためにはまず、人間の考えるという行為の不思議を解き明かしていかなくてはならないと私は考えているのです。

今回ご紹介するのは、2000年代以降のフォークとエレクトロニカ界隈で非常に強い影響力をもった米国のバンド、Animal Collective です。

実験的な要素が多かったり楽曲構成も複雑だったりと、あまり人受けしない音楽を展開しているはずなのですが、それらをポップでキャッチーな明るい調子に包んでより広いリスナーに届けるのが巧みなバンドですね。

京都スタッフ 緒方勇人
http://engineerism.com/