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ベンガルの虎

 前回の〈一路多彩〉では、冥界の使者、魑魅と魍魎が訪ねた千本の迷宮に、一本の墓標が立っていた。今月はそこに刻まれた亡き人の名を偲び、かつて彼の立った紅いテント劇場を再現の舞台に、極私的な縁起を巡らせる。(極私的は、ごくしてき、と読む)
 2016年12月29日、現世に永久の別れを告げた俳優・根津甚八とは一面識もない。でも彼の舞台なら、1973年から75年にかけて、春夏あわせ4つの作品で見たことがある。いずれも唐十郎の作・演出による当時の紅テント、劇団状況劇場の公演だった。最初は73年のたしか5月、大学1年生の年の『ベンガルの虎』京都公演だった。それまでテント劇場になど入ったこともなかった私は、怖さもわからず仲間ともども最前列近くに陣取った。

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 いきなり幕が開かれると、「ごくつぶしはいないかな? ごくつぶしはどこにいる」と頭巾を被った、怪しげなることこの上もない、男(天竺五郎)演じるところの老婆が、牛馬の骨を満載したリヤカーを引いて通り過ぎていく・・と思うや、今度は上手側に作られた公衆便所の三つの扉が、ドバ――ン、と荒々しくも蹴り開けられる。中からは兵隊が飛び出し、客席ぎりぎりのところまで駆け出すとそのまま最敬礼、では済まなくて、顔面白一色の男優が口いっぱいに含んだ「唾液」を高々と吹き出し、客席の熱気に威嚇の冷水を浴びせる。あえなく、私もその餌食に。悲鳴も上がる。これはエライところに来た、どうしよう、などと振り返る余裕も与えてもらえず、兵隊どもは持ち前のドラ声で「はにゅうの宿」を歌い、俗物隊長とやらが手紙を読み上げる。
「私は日本には帰りません。そういう決心をいたしました。私がしていることは何かといいますと、それは、この国のいたるところに散らばっている日本人の白骨を始末することです・・・云々(うんぬん)」。それが大久保鷹だった。このシーンがあの竹山道雄の『ビルマの竪琴』に共鳴することになど、まだ思いも及ばなかった。
 冒頭の一騒動が過ぎ去ると、ミシンを踏んで売り歩く行商人がお目見えする。いかがわしさの理想像とでも言われるべき、唐十郎演じる中年男がようやく客からの爆笑を誘い、それがまた一段と深い泥沼へと引きずり込んで、いよいよ下準備はととのった。李礼仙の描き出す薄幸の女が短い歌を奏で、つづく頭巾の老婆とのやりとりにも一段落がついたその矢先だった。目に見えないカーテンの襞の透き間から、漂う熱気に複写され、自ずから浮き上がるようにして、根津甚八は音も気配もなく、いきなり姿を見せた。

    女は手の灰をこすりとろうと身を屈める。下手で、ギターを持った少年が
    見ている。少年、近づいてきて、ハンカチをさしだす。

 女  すみません。(手をこする)
 少年 あんた、何か恨まれてるのかい?
 女  (顔をあげる)
 少年 (ギョッとして)先生、先生じゃありませんか?
 女  あんた、水島君?
 少年 しばらくでした。同窓会にも行けなくて・・・・。
 女  あたしも行かなかったの。今、何してるの?
 少年 流しです。                    (ベンガルの虎より)

 ジェームズ・ディーンも遠い海の彼方のどこ吹く風よ、とばかりの、それは見事なリーゼント、鮮烈なまでに青く深く、目蓋を染め抜いたシャドウ! 仲間も含め、周りのうら若き女性客からは即座に、それも複数、「かっこいい・・!」と、法悦の衣をまとわされた憧憬の囁きがこぼれ出す。なるほど彼女たちは、血も汗も涙もなく、瞬時に魅了された。劇団はこのあとバングラデシュ公演に旅立つ。それはまだ独立の戦禍も生々しい頃だった。その前の年、72年の『二都物語』では、戒厳令下の韓国・ソウルに渡り、詩人金芝河の劇団と協演、この73年に続く74年には、やはり秀作『唐版・風の又三郎』でパレスチナへ。もちろん根津はそれらの全てに同行した。
 その74年『又三郎』の京都公演、会場は世界遺産にもなった下鴨神社の糺の森、そのラスト、すでに舞台の後ろのテントは開かれて、森に囲まれた暗い馬場がのびていく。するとクレーンが1台、そっと指先を差し入れてくる。誰もいなくなった舞台では、織部(根津甚八)とエリカ(李礼仙)の二人だけが待ち受ける。

 織部  ズボンははきましたか?
 エリカ (ポーズをとって)ごらん、これが生きかえり、六号室をぬけてきた変装の町の又三郎さ。
 織部  (起き上がる)もしかしたら、あなたは風の又三郎さんじゃありませんか?
 エリカ 君はだあれ?
 織部  読者です。                   (唐版・風の又三郎より)

 二人はそのままクレーンの先に乗り込む。主題歌が唄われる。車がゆっくりと走り出し、遠ざかり、かれらを載せた先端も徐々に持ち上がっていく。何しろ黒一色の森の中では、スポットに照らされた二人の姿が本当に空へと舞い上がっていくようで、客席は拍手とともに、これまでにもない興奮の坩堝に巻き込まれてしまう・・・・

 その次の年の舞台を最後に、私は一部のテレビドラマを除いて、彼の舞台も映画も見たことがない。だから根津甚八は、今でも私の記憶の森のどこかで、羽ばたき、囀る。波立つような音もなく、影に包まれた目と唇だけをこちらに差し向けて。

 あの「俗物隊長」大久保鷹とは、世紀も変わった07年から08年にかけて、パレスチナと日本の演劇人による新たな合同公演でお目にかかっている。また、旧知の漫画家うらたじゅんさんのご紹介で、唐十郎とも二度ばかり、挨拶程度のお話をする機会があった。そのうちの2010年4月24日、劇団唐組の大阪公演を観た後の会話について、私は自らの日記にこう書き留めている。

「私が初めて(紅テントを)見たのは『ベンガルの虎』というと、彼は「『二都物語』の次」と言ってから、『風の又三郎』までの流れをとらえて「ホップ、ステップ、ジャンプ」と応じた。ホップ、ステップ、ジャンプである。おもしろい。」

 そこはすでに舞台である。その夜の劇団の舞台は、先ほど終わっていたのだが。

 作・演出の舞台が終わると、当の作者はそのまま自分ひとりのための、特設の舞台に座り込んだ。再現不可能なる一回性。それこそが演劇の真髄であり、真骨頂であり、その総てだと言ってもよいくらいだが、そこには精確精密に、演じる者、眺める者、それぞれの一生が折り重なり、近くて遠いそれぞれの未来を教え悟らしめてくれる。(文中敬称略)

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右「ベンガルの虎」の冒頭シーン。白一色の顔で
敬礼のポーズをとるのが、大久保鷹演じる俗物隊長。

「ベンガルの虎」の3つのシーン
上半分の左に立つのが大久保鷹、一人おいて右が李礼仙。
下の右が李礼仙と根津甚八演じる流しの少年。
下の左の男は、その後テレビ出演も多い不破万作。

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 右で薔薇をくわえるのが根津甚八。左のマドロス風の妖艶の男子こそ、麿赤児とともに60年代後半から70年代初めの状況劇場の立役者を担った四谷シモン。彼はその後、人形制作をフィールドに造形作家として活躍する。麿と四谷はともに71年に退団しており、別の資料からみて、この写真は彼らの最後の舞台となった、71年秋の『あれからのジョン・シルバー白痴編』の一場面かと思われる。なお、根津甚八の紅テントデビューは70年の『ジョン・シルバー・愛の乞食編』で、これは出演4作目、『ベンガルの虎』は7作目にあたる。
いまはただ、ご冥福をお祈りする。                  

 

著者プロフィール

mensuel『一路多彩 -pluralité unique-』毎月10日公開
nina蜷川泰司(にながわやすし)

1954年京都市に生まれる。文芸作家。1988年の海外渡航時前後から、本格的な執筆を開始する。2003年に最初の長篇『空の瞳』(現代企画室)でデビュー。空中都市を浮かべる大がかりな町で、死刑囚との面会に出かける主人公が遭遇する叙事詩的な一夜を描き出す(著者とル・プチメック今出川店との邂逅はこの出版の少し前にまでさかのぼる)。2008年には、かつて在住したオランダの町を舞台に、対話的文芸論『子どもと話す 文学ってなに?』(現代企画室)を上梓。

2013年の作品集『新たなる死』(河出書房新社 全国学校図書館協議会選定図書)には12作の短中篇を収めるが、その冒頭を飾る「コワッパ」の執筆にあたり、2005年の秋にはル・プチメック今出川店からのご協力をいただき、店舗への取材を重ねている。

今世紀に入り、第二の長篇『ユウラシヤ』に取り組む。作品は架空の大陸に層をなす黙示録的な時間をたどり、哲学者スピノザからの謎めいた暗示と影にも付きまとわれる。2015年9月、そのプロローグにあたる『迷宮の飛翔』(河出書房新社)を発表。そこには風間博子によるオリジナル挿画16点が掲載されるが、彼女との直接のやりとりは、事情があって今日もなお認められていない。『新たなる死』を受け継ぐ作品としては、群章的な中篇作『ヒトビトノモリ』を構想中である。