bn_romi

母の子育てを思う

4月になると、娘が小学一年生になります。幼児から児童に格上げされ、今までタダ乗りしていた電車もグリーン車もお金を支払うようになり、PASMOを買ってあげました。娘は、ピッと自分のカードで改札を通るのが堪らなく楽しみなようで、小躍りしてPASMOをパスケースに入れて首にかけ練習しています。小生意気な口答えももういっちょまえです。大きくなったものです。そんな私の6年間の子育ては、保育園やら仕事やら引越しやら原稿やら出張やらで完全にキャパオーバー。自分の甘さがいろんなところに露呈して、もうあきらめることだけは素早くできるようになりました。どうしたら仕事と両立できるのですか?なんて質問をされることもたまにありますが、私が教えてほしいぐらいです。両親にも子守りで東京から鎌倉に毎週4泊5日で来てもらったりして、世話になりっぱなしですが、折に触れ、私が小さい時の母親の子育てと比べて、その時の自分の気持ちを引っ張り出して、子供の気持ちを推し量ったりしています。

私に子供が生まれて、あらためて母の子育てを聞く機会が何度かありました。うちの母親が育児ノイローゼになりかけて、0歳の私を抱っこしたまま、近所の保育園の前でたたずんでいたのを、優しいシスターの園長先生に「どうしたんですか?」と優しく声をかけられて、私の保育園生活が始まりました。順番は逆ですが、私を保育園に預けるために、母は仕事を始めました。うちの母、変わってるんです。そのあと4歳半の頃引越して、別の保育園に行ったのですが、保育園のお迎え時間に母が間に合わなくて、先生方も帰ってしまって、一人で門の外で私が待っていたことがあったそうで(そんな時代?)、さすがの母親も焦ったそうです。保育園の帰り道、八のつく日に縁日があるお薬師さんがあり、その縁日に来る「ふろく屋さん(雑誌のふろくだけ売ってる)」と「べっこう飴屋さん」に寄っておねだりするのが懐かしい昭和の香りの思い出です。小学校に入ったら鍵っ子生活がスタート。その時同じ学年で1人しか行っていない学童保育に行くことになりました。改めて親としての視点で私の子供の頃のことを思ってみると、一人っ子で鍵っ子で、学校や学童保育からの帰宅時まで一人で過ごしていることも多くて、割と寂しく鍵っ子生活を送っていたものだとちょっと切なくなります。でも、その時の私は寂しい気持ちに包まれていたわけではなかったのは自分が一番よく知っています。親の立場であまり感傷的にとらえるのはよくないですね。学校から家を通り過ぎて、途中でお巡りさんや、一人でひたすら働いているストロー工場のおじさんに茶々を入れながら、ようやく着くのが児童館に併設された学童保育。ここではたくさん違う学校のお友達ができて、手打ち野球とか、はだしのゲンとかブラックジャックの漫画を読破したり、冒険と称して立ち入り禁止の地下のボイラー室に忍び込んで「おじじ」と呼んでいたボイラー室の管理人さんとお茶したり、なかなか楽しい思い出は盛りだくさんです。家に帰るとだれもいない家で、母親が帰るのを待ちながら、巨人の星とかエースをねらえ!の再放送を、ただただ見ていたのを思い出します。一人っ子なので、家の中ではぬいぐるみがお友達。ある日ぬいぐるみ入れの大きなケースにマジックで「きぼうのいえ」と書いたのはタイガーマスクの影響です。お料理には興味津々だったので、母親がある日こども向けの料理本を買ってきました。たぶん、私が家でテレビを見ている間に夜ご飯でも作ってくれないかなぁという魂胆だったとは思うのですが、狙いは外れ、巻末のほうに載っていたショートケーキを作ったら特別な日でもないのにケーキが食べられる魅力に取りつかれて、お菓子作りに夢中になっていったのでした。

 母は、海外旅行が好きで(とはいえ、なかなか行かれない時代なので)、仕事をしてお金を貯めると、一人娘の私を田舎のおばあちゃんに預けて、一人で海外旅行に行ったりしていました。何度かそんな旅をして、さすがに昔の海外旅行なので一人でツアーに入っていたのが嫌になり、とうとう11歳になった私をお供にして、「地球の歩き方」を片手に、西ドイツ(これも時代。)に行くことに。考えたらその頃の母親は今の私より5歳ほど若い。でも落ち着きのない大人だなぁって思います。いつも鍵っ子で寂しい思いをさせている私に、この変わった母親じゃないとしてあげられない何か特別な事をしてあげようと思ったそうです。そんなわけで、夏休みに、私は初めて飛行機に乗って、西ドイツに旅行に行くことに。しかも初の自主旅行の母親と二人きり。無謀です。それでもロマンチック街道の旅は、城壁に囲まれた街並み、馬車に乗って行く優雅なお城や、ボートに乗っていく湖の先の教会やら、本当におとぎ話の世界でした。レストランでメニューが全然わからなくて、とりあえず「鳥」という単語だけで選んだら鳥の丸焼きがドーンと出てきたり、ホットドッグにマスタードをたくさんかけられたけど意外と辛くなかったり、チョコレートパフェの生クリームが無糖でギョッとしたり、雪の玉みたいな揚げ菓子のシュネバーレンが頼みたかったのにうまく言葉が伝わらずに諦めたりとか、食べ物にまつわることをたくさん覚えています。ピンチも何度かある珍道中でした。この旅行をきっかけに、10代の頃は母と6回ほどヨーロッパに旅行をしました。何度目かの旅行から、ピンチ時には外国語がテレパシーで理解できる特殊能力も備わり私も活躍するようになり、10年後に21歳で私が留学してフランス語を勉強してからは、完全に私が主導権を握るようになりました。こうして考えると、私もずいぶんといい経験をさせてもらったと再認識しますが、母は私のために旅行に行っていたわけでも、何か犠牲になっていたわけでもなく、自分の趣味と子供の教育を兼ねて、ずいぶんとエンジョイしたことと思います。子供のために、と母親が我慢をしていたわけでもなかったので、私も何かプレッシャーを感じたこともありませんでした。そんな母親も、私が小さい頃、私を置いて一人で旅行に行ったりしていた罪悪感が少しあるらしく、今率先して孫の面倒をみているのは、その埋め合わせだそうです。この協力がなければ、私の子育ての6年間もどうなっていたことかと思いますが、私も将来同じ道をたどって続いていくのでしょうか。母親のことを思い返してみると、まぁ、自分本位に生きている親に必死でついていくのも子供の宿命。それによってどんな人生の出会いがあるかは、神のみぞ知るというところ。変わった母親の教育を受けたことが、今の私の人生につながっています。私の娘も私に連れまわされていろんな国に行ったり、いろんな人と出会ったりしていますが、その出会いを自分の楽しくて豊かな人生に繋げてくれると母親としてはこの上なく幸せです。

c_romi14


著者プロフィール

月刊『いがらし ろみ の あまチャンネル』毎月29日公開

icon_romiいがらし ろみ

菓子研究家。1971年生。東京出身。
鎌倉・若宮大路と東京・学芸大学でジャムと焼き菓子の店を営む。
お菓子好きと怠け者と経営者とおかあさんとジュリーファンを行ったり来たりする毎日。