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「菓子職人はあきらめました」2

もう気が付けば1年の半分が終わってしまっているなんて、どうなってるんですか、この世の中は。コラムを3か月もサボってしまいました。すみません。

えー。先日4月に東京で開いていたお菓子教室を、事務所と一緒に鎌倉の一軒家に移転しました・・・というのが言い訳で。ちょっと移転しただけのつもりだったのが、そもそもの大きな間違いで。それに気が付いたのは4月。待ったなし状態でした・・・。そしてハッと気が付けば7月。10月からは、お菓子教室のスペースで半年間、チョコレート屋さんを開店しようと、それにむけての準備もスタートしました。今年は、ジュリーがデビュー50周年を迎える記念すべきツアーがもうすぐ始まるので、それを励みに、あとちょっと駆け抜けたいと思います。

さて、昨年の3月に書いていたコラム「菓子職人はあきらめました」の続き。です。

パリに留学して、料理学校で週に3-4回あるお菓子のコースをとりながら、パリでの日々を謳歌していた私。もう、23-24年も前のことですが、バブルがはじけたとはいえ、今からすれば、だいぶのんきで浮かれていましたね。強烈な円高でいろいろなものが割安だったり家賃が安かったりしたことも幸いしました。同級生が遊びに来てはコート・ダジュールに旅行に行ったり、イタリアを巡ったり、ウィーンにお菓子を食べに行ったり、ロンドンに行ったり・・・なんとまぁ楽しい毎日だったのでしょうか。たった1年とは思えないほど、充実した留学生活を送りました。無事、料理学校も素晴らしい先生に恵まれ、きっと一生関わることはないと思われる飴細工やチョコレート細工を繰り返しやってみたり、コンコルド広場の立派なホテルのパティスリーのキッチンでスタージュをしたり、サンジェルマン・デ・プレの大好きだった小さくてもこだわりのあるお菓子屋さんでスタージュをして、マダムにもシェフにも可愛がってもらって、ひとり“ウルルン滞在記”(古いですか?)な気分の貴重な体験もさせて頂きました。この時にひたすらオランジェットをチョコレートがけしていた経験が、自分のチョコレート(作り)好きに気が付くきっかけになりました。どんなきっかけが後々に影響するかわからないものですね。

こうして料理学校の卒業は間近、私の楽しかった留学生活も終わりを迎えようとしています。留学する前に、「お菓子職人は向いていないことはわかっているから、違うことを見つけなくちゃ。何か自分に向いているお菓子に関わる仕事がないかしら? ま、今はとりあえずお菓子をちゃんと勉強しよう!」と考えていた自分に、帰国前にはいい答えは見つかりませんでした。仕事への答えは見つからなかったものの留学の充実感いっぱいで帰国した年は1995年。阪神大震災からオウム事件と、そこからの日本のムードもだいぶ変わった年でした。

帰国して間もなく料理学校でお世話になった先生が東京校に異動していたので、その先生に会いに東京校に帰国のご挨拶に伺うと、そこにはまた別に知り合いが!以前働いていたお菓子屋さんの秘書の方が事務局に転職していて偶然お会いしました。その時に事務局にちょうど人が足りなかったようで、そのまま次の月には自分が学んだ料理学校の東京校の事務局で仕事をすることになったわけです。その時点でお菓子職人以外での仕事も見つかったわけでもなく、留学したことを生かせるかもしれないし、まぁ事務の仕事かぁ・・・とトキメキは感じないながらも、その流れにのってみようと思いました。24歳の夏になる前のことでした。

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著者プロフィール

月刊『いがらし ろみ の あまチャンネル』毎月29日公開

icon_romiいがらし ろみ

菓子研究家。1971年生。東京出身。
鎌倉・若宮大路と東京・学芸大学でジャムと焼き菓子の店を営む。
お菓子好きと怠け者と経営者とおかあさんとジュリーファンを行ったり来たりする毎日。