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月の本棚 五月 断片的なものの社会学

本を開くと、雲をつかむような話が浮かんでは消えていく。

世の中に起きたことや調査したことを、分析し解釈するのが社会学だそうだが、ここには分析や解釈のできない、答えのない物語が集められている。その間に置かれた言葉は哲学的で、何度も読み返してしまう。たとえばこれ。

「幸せというものは、そこから排除される人びとを生みだすという意味で、同時に暴力でもある」。

そんなこと、考えてみたこともなかったよ……と思ったのだが、「人は皆、結婚するのが幸せだよね」と言う人がいたら、それは野暮だと感じる。「結婚」のところに「出産」や「恋愛」を入れてもいい。しない人を排除している。でも、「完全に個人的な、私だけの“良いもの”は、誰を傷つけることもない。そこにはもとから私以外の存在が一切含まれていないので、誰を排除することもない」。その通り。一般論でものを語らない人は魅力的だと思う。

印象に残る物語があった。旅先の事故で亡くなった夫婦の日常会話がエンドレスに再生される無人の部屋の話だ。旅に出るにあたって空き巣を心配した妻がセットしていった録音テープが流れる部屋が、彼ら亡き後しばらくして第三者によって見つかる。もし事故がなかったら、その会話のかけがえのなさに誰も気づかないままだろう。そして、その先がある。「徹底的に無価値なものが、ある悲劇によって徹底的に価値のあるものに変容することがロマンなら、もっともロマンチックなのは、そうした悲劇さえ起こらないことである」。禅問答みたいだ。そこに、ヘンリー・ダーガーの話が続いた。何十年も一人で部屋にひきこもって1万5千ページもの幻想的なコラージュ絵本を創作していた老人だ。運よく発見された作品は美術館所蔵となったが、このことは、ほかにもそういう人がいて、その作品は誰にも発見されずに失われたかもしれない、という仮想を呼ぶ。

この世は、気づかれないまま失われていく、価値のあるもので溢れているのだ。

大阪のおばちゃんの話もよかった。通りすがりの人と気軽に植物の話をし、植木鉢を交換する彼女たち。「人と人とを結びつけるのに、これ(植木鉢)ほど適したものがあるだろうか。それはそこで笑っているから、人にあげる価値がある」。
笑っている……?擬人化を「たわごと」と言い放つ著者が、それでもたまに擬人化してしまうところがすきだ。「ほんとうはみんな、男も女もかぎらず、大阪のおばちゃんたちのように、電車のなかでも、路上でも、店先でも、学校でも、気軽に話しかけて、気軽に植木鉢を分け合えばいいのに」と彼は言う。

「笑う」ということに関して最後にもうひとつ。なにかに傷ついた時、黙ることも怒ることもできるけれど、笑うこともできる、とあった。私はそれを選ぼうと思った。

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『断片的なものの社会学』岸政彦著 (朝日出版社 2015)


著者プロフィール

月刊『月の本棚  清水美穂子のBread-B』毎月24日公開
icon_shi 清水美穂子
ライター・ブレッドジャーナリスト

普段はBread+something good(パンと何かいいもの)をテーマに執筆・発信していますが、ここではBread-B。Bを外してしまって、Reading周辺のsomething goodを書いていきたいと思います。
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