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6月 空也最中

 梅雨入りが話題になり始めると、ぼくは『空也』の最中(もなか)が気になり出す。説明の必要はないかもしれないけれど、念のために言うと『空也』は銀座にある和菓子屋で、この店でいちばん人気のお菓子が最中である。事前に予約しておかなければ、まず手に入らない。夏目漱石の大好物だったことでも有名だ。だからお使い物としても重宝される。
 とはいえ、あらかじめ自分が最中を食べたくなる日や、お使い物が必要になる日を予想しておくことは難しい。というよりも、早い話が面倒だ。いままでに予約をして買ったことは、1回か2回しかなかった。だから誰かが差し入れとしてもってくるなんていう幸運に恵まれないかぎり、めったに口には入らない。
  何年か前の梅雨の時期、じめじめとした蒸し暑さにうんざりしながら銀座を歩いていた。そしてふと思ったのだ。「こんな季節に最中を食べたいと思うのは、よほどの甘いもの好きしかいないのだろうな」と。そうか! ということは、こんな日はいつものように予約だけで売り切れてしまってはいないのじゃないだろうか。ぼくは突如として胸に灯った希望の火を頼りに、予定を変更して『空也』に急ぎ足で向かった。
  果たして、入口の左側にいつも張られている「本日の最中は売り切れました」という紙がない。中を覗き込むと小さな箱がいくつか重ねてある。店員さんにおずおずと「最中はありますか?」と尋ねると「はい、ございます」という返事。ぼくは自分の推測の正しさに、その場で踊り出したくなるほど有頂天になった。
  それ以来、梅雨時や夏の猛暑日など、誰かの脳裏に最中が浮かぶことの少なさそうな時候に銀座に用事ができると、必ず『空也』を覗いていくことにしている。もちろんどんな季節であろうが、空也最中の美味しさに変わりはないし、食べたい人が減るわけでもないから、必ずということはなかったが、でもなかなかの確率で予約せずに買うことができた。先日も然り。たまたま札幌から遊びに来ていた友人夫妻と会う約束をしていたので、手土産に渡せたらいいなと思って寄ってみたら、幸運にもまた手に入れることができた。当然ながら、自分用にも1箱買う。
  そういえば、『空也』の包装紙はたしか、グレーの地に白抜きで模様が入ったものと、白地にブルーで模様が入ったものの2種類があったと思う。白地が夏用のはず。何故なら、ぼくが買う最中は、いつも白地にブルーの紙に包まれているから。

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著者プロフィール

月刊連載『好物歳時記』毎月14日公開
icon_okamoto岡本 仁(おかもと ひとし)

ランドスケーププロダクツ
北海道生まれ。いろんな町をブラブラして、いつも何か食べてる人
と思われていますが、いちおう編集者です。
著者は『ぼくの鹿児島案内』『ぼくの香川案内』『果てしのない本の話』など。
雑誌『暮しの手帖』で「今日の買い物」という旅エッセイを連載中。