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初めて宇宙に手が届いたころ

 その夜、僕は怖かった。なす術もなく、答えも見つからず、恐ろしかった。

   存在、生命、運動の源であり、
   あらゆる方向に向かって
   天、地、冥界にあると言われるすべてのものへとひろがっている、
   原因、原理、そして永遠の一者よ。(ジョルダーノ・ブルーノ)

 多くのみなさんが、記憶の濃淡はあれ、同様の経験はなさっているかと思うのです。ご自分の認識の中に初めて明確に「宇宙」が姿を見せたころのお話です。あるいは自らの認識がようやく「宇宙」にまで及んだという、人生にとっても画期的な時点です。僕の場合、そこにはものすごい恐怖が伴っていました。今でもその夜の薄暗い室内の情景とともに、ありありと思い起こすことができるのです。小学3年でした。
 季節はよくわかりません。8時は過ぎていて、一人で布団を被っていました。布団だから、真夏ではなかったのでしょう。わが家に初めて導入された長椅子兼用のベッドをまんまと独占、家の二階、表通り側の南向き、真っ暗だったかどうか、僕は新たに手に入れた概念と静かに向き合っていました。自分がその中に生まれ、いまも暮らすという「宇宙」、この途轍もない代物についてぼんやりと思いを巡らせたのでしょう。すでに地動説は承け入れており、ガガーリンが「青かった」と形容した地球が、同じ宇宙に、その全体と比べれば芥子粒以下の容積で浮かんでいることもどうにか理解していたはずです。
 あの夜、僕はそんな宇宙に伴う途方もない拡がりに誘われ、新たな思案の旅に出かけた。まだ幼く頼りないその理知は、あっという間にただならぬ広大さが隠し持つ、言語道断ともいうべき不穏の渦に巻き込まれたのです。視点はみるみる吹き飛ばされ、貧しい想像力は強い自覚もないままに、その宇宙の限界点へと一気にたどりつきます。途端に、すべてが不可解の淵へ投げ込まれ、不可知の恐怖にとりつかれました。憐れなるかな、もはや一人でいることもできず、一階へ駆け下り、起きている母に、何の忖度もなく、自分の抱える畏怖を剥き出しのまま押しつけたのでした。「ねえ、この宇宙の端は、どうなってるの?!」明確な答えの得られよう訳もなく、大人からの、困惑した力のないの笑いが細波を繰り返すばかりでした。
 おそらくこのとき、生まれて初めて二つの事柄が邂逅し、直ちに結び合ったのでしょう。そこに現われた姿なき巨体を前に、小さな私は狼狽え、怯えるしかなかった。初めて出会った二つのものの一方とは、眺めるだけの星空からは残酷なまでに一線を画した「宇宙」という知識です。この新入りの得体のしれない大物が、もうひとつの、年少の僕にもすでに十分に蔓延っていた生活概念と、初恋に落ちたのでした。それこそが「終わり」ということです。有限と無限、生と死へ展開もとげる、物事の「端(はし)」という日常茶飯です。手指の、物干し竿の、定規の、駅のホームの、端。食事の、授業の、遊戯の、そして生命活動の、終わり。新規導入の「宇宙」がこのありふれたものの捉え方と初めて接触した夜、僕はどうしようもない、手に余るパニックへ導かれた。
 さらに加えて、今でも残る、もうひとつ別の問題があります。ですからそれは「宇宙の端はどうなっているのか、そもそも端があるのか否か」ということではありません。そののち大人になった私は、同じ問いを前にしても、同じ恐怖に襲われることがないのです。これは一体なぜでしょうか。単に厚かましく、もしくは鈍感に、あるいは慣れっこになっただけなのか。もっともあの恐怖が続くのなら、生存だって危うかったでしょう。大人になると何かと忙しく、とてもそれどころではないのか。宇宙の極限の遥か手前に山積する、さまざまな問題にいつも目を奪われるばかりで。たしかに。

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2017年5月5日 嵯峨野、常寂光寺より京都の市街を望む


 

著者プロフィール

mensuel『一路多彩 -pluralité unique-』毎月10日公開
nina蜷川泰司(にながわやすし)

1954年京都市に生まれる。文芸作家。2003年に最初の長篇『空の瞳』(現代企画室)でデビュー。2008年には、対話的文芸論『子どもと話す 文学ってなに?』(現代企画室)を上梓。
2013年の作品集『新たなる死』(河出書房新社)の冒頭を飾る「コワッパ」の執筆にあたっては、舞台となるル・プチメック今出川店からのご協力をいただき、店舗への取材を重ねている。
21世紀の初めから現在まで、第二の長篇『ユウラシヤ』に取り組んでいる。2015年9月、そのプロローグにあたる『迷宮の飛翔』(河出書房新社)を発表。今年(2017)は第1部にあたる新作『スピノザの秋』を刊行する。