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「カルダモンドーナツと地元食堂」

たった5日間というフィンランド買付けの旅。
さあて、どうしようか。

まあ、仕事だからこそ、
今まで訪れていない街を、1ヶ所は訪れたいよね。
ヘルシンキから日帰りで行けて、
いろいろな意味で収穫がありそうな場所がいいよね。

そう考えた結果、ふと思いついた街。

そうだ。
「タンペレ」に行こう。

タンペレは、
首都ヘルシンキから170キロほど北に位置する、フィンランド第3の都市。
昔から、豊かな湖水資源を利用した紡績や機械産業が盛んで、
ヘルシンキ中央駅から、
特急電車なら2時間弱で行くことができる森と湖の街。

そーだ、そうしよう。
と、
フィンランドに到着した明朝、私は早速タンペレへと向かった。

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あいにくの空模様が、フィンランドらしくて落ち着く。

普通はここで、ガッツリ買付けをスタート・・・。
と、なりがちなのだけれど、
最初に向かったのは、丘陵の森にある小さな塔「ピューニッキ展望台」。

その理由は、
そこに併設されているカフェ、
「ピューニキン・ナコトルニン・カハヴィラ」に行きたかったから。

なぜ、そのカフェに行きたかったかと言えば、
そこで作られているドーナツ(ムンッキ)が、
フィンランドで一番美味しいと言われているから。

そんなシンプルな欲望に従い、小さな塔を目指して歩く。
ただ、ひたすら歩く。

それは買付け業務にありがちな、焦りに満ちた歩きではなく、
湖を眼下に、
森の中を、ただモッサリモッサリ歩くという、
森林浴気分に満ち満ちた歩き。

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まあ。
なんて、贅沢な!

歩きながら、そう思った。

ただ、歩いているだけなのに、贅沢すぎる。
こんな時間は、いつ以来だろう。
少しだけ、泣きたくなる。

そんな新緑てんこ盛りの木々を抜け、
ようやく私の前に現れた、ピューニッキ展望台と併設のカフェ。
想像をはるかに超えて小さい。

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行列ができるドーナツ屋さんだと聞いていたものだから、
さぞかし落ち着かない場所なのかと思いきや、
恐ろしく落ち着いている。

聞こえてくるのは鳥のさえずりだけ。
森に囲まれた美しい空間と美味しい匂い。
時が止まったかのような静かな景色。

早速、揚げたてのドーナツをふたつ。

ドキュン!
やられた!

カルダモンの香りがキチンと効いていて、甘すぎず、素朴。
長いこと愛され続けている理由がハッキリと分かる。

こんなに美しくて、こんなに不便な場所で作られているドーナツくん。
キミは、今後の私の人生を変えてしまいそうだぞ。

タンペレに来た甲斐を、到着早々にゲットしてしまった私。

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そうそう。
たとえ5日間という短い旅であっても、
「暮らしながら旅する」スタイルはいつも通り崩さず、
今回もキッチン付きアパートでの自炊生活。
いわゆる外食をしたのは、この日の昼食のみとなった。

そんな貴重な昼食に立ち寄ったのは、
フィンランドに住んでいる友人に教えてもらった定食屋さんで、
ずいぶん昔から営業をしているという、魚料理中心の食堂だ。

古いドアを開けると、中からはお魚の良い匂い。
そして、奥にはビックリする人数の地元の人たち。

この日のランチは、
焼いたり揚げたりしたサーモン、ニシン、イワシ、魚のすり身などに、
マッシュポテトとサラダが盛り合されているワンプレートで、
10ユーロ。
フィンランドの外食としては、かなり好意的な値段だ。

先に代金を支払うと、
紙コップに「ロヒ・ケイット(サーモンスープ)」を入れてくれる。

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まず、このスープが、普通に美味しい。
その後に運ばれてくるランチプレートも、普通に美味しい。
気取っていなくて、全てがちょうど良い。

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テーブルクロスは、テカテカとした水色のビニール。
もうそれだけで「定食屋さん度数」は高得点だし、
お水も水道から自分で入れるし、
カトラリーも、ザルの中から自分で選ぶ。

ズラリと貼られている古いお魚図鑑ポスターを眺めながら、
皆が同じ定食を食べている。
BGMなし。
聞こえてくるのは、静かな話し声と、カトラリーの音だけ。
落ち着く。極めて落ち着く。

バキュン!
やられた!
またしても、私のハートにジャストミ~ト!

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旅をしていると、
「このままこの街に住み着いてしまいたい」
という欲望に、私はいつもかられてしまう。
住み着いてしまいたい街が、すでに何ヵ所になってしまっているのか、
自分でも思い出せないほどの旅先妄想。

で、
案の定、
この食堂を知ってしまった私は、
「この街に住み着いて、この食堂に毎日通おう」とか、
「このままこの街に住んで、この食堂でバイトをしよう」とか、
またしても、明るい妄想で頭がいっぱいになってしまった。

この食堂は、どのガイドブックにも載っていない。
お店のHPもないし、ネット検索をしても何もヒットしない。

それって、本当は旅人泣かせなのだろうけれど、
だから、観光客が一人もいないのだろうけれど、
これって、かなりラッキーなんじゃない?

と、明るい妄想に着地点が見つかったところで、
この食堂の名前は今後も秘密にしておこうと思う。
こういう秘密を増やしていくことが、私にとっては「旅のヘソクリ」になる。

あ。
今回の旅で、ひとつ心残りがある。
タンペレ郊外にあるフィンランド最古の公衆サウナ(1906年創業)に、
入る時間がなかったことだ。
地元の人たちと、いわゆる裸の付き合いをしたかったのに。

まあ、
居心地良すぎるこの街で、裸の付き合いを経験してしまったら、
住み着きたい妄想に拍車がかかり、本当に帰れなくなっていたかもね。

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そうだった。
大切なことを言っておかなくては。

ちゃんとこの日も、
買付けの仕事はしてきているので、皆さま、どうかご安心を・・・。

 


著者プロフィール

月刊連載『旅のち、たびたび北欧へ』毎月16日公開
prof_shiho伊藤 志保(いとう しほ)

カフェ「istut」のオーナー&厨房担当
自らが買付ける北欧ヴィンテージショップ「2nd istut」も営む
古いモノ、ヨーロッパ、蕎麦、ワインが好き
1969年生まれ 長野市出身