title_matumiya

ダージリンの旅 3

c_me18-1
この雄大なヒマラヤの日の出を見たくて、ダージリンにまた行きたくなります。
地球の屋根と呼ばれるこの景色、自然との一体を感じて、太陽がここから登る感激は言葉に表せません。

このダージリンの土地が今大変な状態になっています!
今年2017年6月13日から、無期限のゼネラルストライキが発令され一ヶ月以上が過ぎました。ストライキは二ヶ月以上も続き、観光が最大の収入源であるダージリンの街は大変な騒ぎです。お茶の生産も大変な影響を受けています。ダージリンのセカンド・フラッシュと呼ばれる夏摘みのおいしい紅茶の生産期です。
c_me18-8

いつもの私の旅のお話からちょっと外れて日本人の多くの方があまり目にしたり、耳にしたりしないダージリンのエリアについて今回はお話ししたいと思います。
c_me18-2
このゼネスト(ゼネラルストライキ)は、これまで私が10回近く足を運んでるダージリンでは比較的よくあるゼネストです。ゼネストが理由でダージリン滞在がスムーズにいかない時もあるので、ツアーの日程を余分に取り、スムーズに行けばその時間を利用してすぐ隣のシッキム(ここも茶園があり見学へ行きます)やカリンポンというブータンの交易の街に足を伸ばしたりと、ダージリン近辺のビザがいらないところへ出かけます。

c_me18-3
ここがテススタ川。シッキム、ブータンへの道 カリンポン、そして手前がダージリン。ここからの見晴らしが綺麗で、屋台の店でチャイを作ってもらい飲みながら景観を楽しみます。

1709年にネパールからグルカ王国(今のネパールのある場所にあった王国)が侵入して、シッキム王国のダージリンの土地を支配します。
1816年 グルカ族とイギリスの間で戦いが起こり、ここをイギリス東インド会社が支配します、1835年にダージリンを割譲、イギリス東インド会社の領地となり、ダージリンの歴史は始まります。

c_me18-4
ダージリンの場所を改めて紹介したいと思います。インドの北東部のヒマラヤ山脈の前に屏風のように一番左にネパール、その隣に今はインドの最後に入ったシッキム州(ここは昔、シッキム王国でした)。その右にブータン。昔、ここ三つが王国でした。

ダージリンはそのシッキム王国の中の街で丘陵地帯です。後ろに高いヒマラヤがあり気候的に温度差がある特殊な環境の場所です。

英国領インド時代にネパールがイギリスとシッキムにとって共通の敵とみなされ、英国東インド会社がネパールに侵攻したグルカ戦争(1814年 – 1816年)でダージリンなどを含むティスタ川西岸全域がシッキムに譲渡されたが、シッキムはイギリスの保護国となった。(引用:ウィキペディア)

英国にとってシルクロードの道でもあり、チベットへの交易路としても重要な場所だったんですね。この歴史が未だに民族の問題として今回のこのような事態を引き起こしています。

西ベンガル政府がダージリンのエリアに住むネパール語を主に使う民族にベンガル語を義務教育課程において強要しようとしたため抗議活動が勃発しました。ベンガル語の履修が必修なダージリンエリアにはネパール系の住民が多く、6月13日には、これを受けてすべての商店がシャッターを閉め、農園もすべて操業を停止しました。

ストライキは過激化し、ダージリンエリアの州として、西ベンガル州からの分離独立を目指す勢力、グルカ国民解放戦線(GNLF)が、グルカランド(Gurkhaland)独立のための大きな動きをしています(ゴラカランドとも言います)。
c_me18-6

c_me18-5
(写真:ダージリンの街に書かれた色々なグルカ族の抗議)
少なくとも8月半ばまでは、ダージリンの茶園のお茶の生産が再開されることはないようです。
グルカ族のことは次回お話ししたいと思います。来月お話しするときまでに、お茶の生産が始まってくれればいいのですが、茶葉を摘まないとここしばらくダージリンの工場が危機にさらされます。話し合いが進めばいいのですが・・・
祈るばかりです。

c_me18-10

c_me18-9


著者プロフィール

『メランジェ的世界の歩き方』毎月21日公開
icon_matsu

松宮 美惠 (まつみや よしえ)

200種類のお茶とお茶まわりのグッズを扱う「ラ・メランジェ」のオーナー。
ラ・メランジェは1988年に京都・北山にオープンし、92年からは同じ北山に店を移転拡張し、2005年9月烏丸二条に移転。2015年5月で対面販売 小売店店舗をクローズ。今後お茶を扱う専門家、飲食関連のサービス、お茶を教える専門家などに今までの経験を生かし指導をしていくことを新しいジャンルとして設ける。ものを売るというよりも、お茶とお菓子ですごす時間や空間、そこから生まれるコミュニケーションが大切だと考え、これを提案したいというのが基本的なコンセプト。このためお茶と食、またそれにまつわる文化に強い関心を持ち、1990年からヨーロッパを中心に海外に頻繁に旅し、情報を常に吸収し、ノウハウを蓄積しているのが強み。最近では、特に中国へ赴くことも多く、中国茶と茶器の品揃えも強化。現在、かの地の文化を修得しつつある。お茶については、海外からはお茶を直接輸入し卸しも行なうが、国内・国外のお茶とも、すべて自らテイスティングし、セレクトしたものを扱う方針。お茶のコーディネイトの仕事も多数。