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「菓子職人はあきらめました」3

「菓子職人はあきらめました」2 のつづき

料理学校での仕事は、資料請求の対応や、学校説明会の資料作り。授業の受付や生徒さんへの教材の受け渡しなど、いわゆる事務仕事でした。それでも、社会経験が乏しく、あまり事務仕事もやったことがなかったので、最初は生意気にも、事務仕事かぁ・・・とがっかりしていた仕事ですら、ロクにできない自分が残念でした。自信喪失の日々でしたが、環境にも事務仕事にも慣れてきた頃に、授業中シェフに付く通訳が足りなくなって、そこでお菓子屋さんでも経験があり、パリから帰ってきたばかりということで、私に急遽その役目が回ってくることになりました。そんな1年やそこらの留学で通訳ができるようになるとは思えないのですが、言葉を補えるお菓子作りの知識、パリでの経験が助けになってくれました。日本だと、その頃はシュー生地を焼くときに、霧吹きを吹いて焼くというのが普通でしたが、フランスでは乾燥させるように焼くとか、フィユタージュを折る時に3つ折りと4つ折りの数え方がそれぞれ1トゥール、2トゥールってなんで?と思ったことなどなど・・・私がパリの授業でびっくりしながら吸収したお菓子作りの常識の違いなどを頭に置きながら、シェフの通訳に付いて、日々授業に出るようになりました。シェフとも気が合って、事務仕事とはまた別にお菓子に関われることになって幸せでした。そんなことがあり、流れのままに始めた仕事でしたが、思いがけずたくさんお菓子の勉強にもなり、生徒さんともいろいろとお話しをする中で留学の話をしたり、お菓子屋さんの仕事の経験を話したり、自分のやってきたことが意味があったのだと思えるようになってきました。それから数年仕事をしながら、生徒さんやシェフ達の希望を探り、いろいろな講座をシェフと一緒に考えるようになったり、生徒さんの進路相談に乗ったり・・・。一番面白かったのは、「生徒さんを集める仕組み」という戦略的なことを考えることで、最初は思ってもいないことでしたが、実際仕事をしてみて発見した大きなやりがいでした。

なかなか充実した仕事でしたが、そのうち、フランス菓子をもっと深く学びたい気持ちから、一度留学したことがあるフランスのアルザスに、小さな村を巡って地方菓子を食べ歩いたり、季節の行事のお菓子が並ぶ風景に立ち会いたい。あの楽しかったフランス留学に、チャンスがあったらまた行きたい!という気持ちが抑えられなくなってきました。4年程働いた後、いったん会社には休職願いをだし、27歳の時に今度はストラスブールの語学学校に行きながら、フィールドワークのようにお菓子を食べ歩く数か月を送ることにします。そこでは村々を回って楽しいいろんなお菓子屋さんに行っていろんなお菓子を食べました。その季節の移ろいを感じながら日本とは違うフルーツの多様性を実感したり、ジャムを作ったりするのも楽しみでした。留学して、どこかのお菓子屋さんで働いて修行するというよりも、短期間で様々な体験ができたように思います。

帰国後は、アルザスの素敵だったこと、アルザスのお菓子のことをいろいろな人にお話ししたりする機会があって、雑誌の記事に協力したりすることも増えました。

そして帰国してまた新しい視点で自分の仕事について考える日々に。料理学校で日々生徒さんと進路のことなどについても同等な気持ちでお話ししたりするので、自分についても進路を深く深く考える時期が長く続いていました。20代後半。なかなかモンモンとする時期でした。2度目の留学から帰ってきたのは1999年。小さいころからノストラダムスの大予言に洗脳されていた私にとって、それから先のことなどあるはずもなく、何も考えていない時代がやってこようとしていました。


著者プロフィール

月刊『いがらし ろみ の あまチャンネル』毎月29日公開

icon_romiいがらし ろみ

菓子研究家。1971年生。東京出身。
鎌倉・若宮大路と東京・学芸大学でジャムと焼き菓子の店を営む。
お菓子好きと怠け者と経営者とおかあさんとジュリーファンを行ったり来たりする毎日。