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第十九回 映画『74歳のペリカンはパンを売る。』

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ペリカンのことを、神殿のような場所だと思っている。
食パンを買いにいく。
工場にレジ台だけ出してパンを売っているようなたたずまいにそそられる。
木の棚にそっけなく、そして整然と食パンとロールパンが並べられている。
あのペリカンマークの袋に入って。
たくさんのペリカンのパンに囲まれているというだけで、わけもなく興奮してしまう。

その奥に工場が見えている。
見えているけれども、立ち入ることはできない。
パンを買うあいだの数十秒盗み見るだけ。
あこがれの気持ちとともに。
まるで神殿の奥に隠されているご本尊を覗きたいと願う参拝者みたいに。
取材する立場になってしっかり見られるようになったが、気持ちはいまでもそんな感じだ。

10月公開の映画『74歳のペリカンはパンを売る。』の試写に行った。
ペリカンが映画になる。
つまり、パンが映画になる。
ずっと待ち望んでいたものと対面することになって、私は心の中で大いに期待し、また恐れていた。
ペリカンは映画的なのだろうか。
パンは映画になれるほど魅力的なのだろうか。

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映画を見た感想はこうだ。
ペリカンはとても映画的だった。
食パンが陳列された眺め、そして神殿の奥、煤けたような空間に置かれたオーブン(観覧車みたいにパンがまわるリール式)などの古めかしい機械。
映画になったパンは恐ろしく魅力的だった。
ハンディカメラは人間の目以上に生地に肉迫する。
モルダー(生地の空気を抜く機械)から出た生地を職人の手がつまみあげ、くるっと丸めて食パン型に詰める、そのときやわらかな生地がふるふると揺れ動く様子。
焼きあがったパンの画面から香りが漂ってくるような焼き色のうつくしさ。
食パン型を作業台に叩き付け、中から食パンが出てきたとき、着地してやはりふるふると揺れる様子。
たったふたつのパンだけ(ペリカンは74年間食パンとロールパンを作りつづけてきた)を数十年作りつづける人の熟練の動き。
パンの神殿の奥にある私の見たかったものを、闇の中で見つめる快楽。

『君の名は』を見た者たちは聖地巡礼をするという。
『74歳のペリカンはパンを売る。』を見た私も興奮に駆られ聖地巡礼に旅立った。

鴬谷にある立忠製印所。
はんこ屋さんにペリカンのパンが売られているとは。
「南千住からも買いにくる人がいます。浅草まで買いにいかなくてもいいから便利だって」
ご近所のケーキ屋さんが閉店し、パンを買うところがなくなった。
そんなきっかけからペリカンのパンを売るようになったんだという。
たしかに近所でペリカンのパンがかえるとしたら、私もしょっちゅう足を運ぶようになるだろう。
ペリカンのパンの吸引力は古めかしいはんこ屋さんを人気店に押し上げている。
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浅草1丁目のアロマ。
下町の路地にあるカウンターだけの喫茶店。
ここを訪ねたのは、マスターの仕事がとてもうつくしかったからだ。
ホットサンドを包丁がカットするときのざくっという音。
うつくしい断面が形作る完璧な直方体。

「うちは1964年、昭和39年に開店。三河屋の時代からパンを入れさせてもらってます」紳士然としたマスターは、映画の中と同じように繰り返した。
映画には出てこなかった風景もそこにあった。
浅草という土地柄、カウンターに座っていたのは、のれん屋の旦那さん。
そしてもうひとり常連さんが入ってきて、「あ、パンにすごく関係してる人がきた」と紹介されたのは、マジシャン。
「パン時計」という、パンの中から客の腕時計を取り出すネタを得意としている芸人さんだった。

コーヒーがおいしかった。
「ここはネルドリップだから。マスターいつも寝ながらコーヒーいれてるでしょ」
「うちのコーヒーは本当に軽いんです。私は人間も軽いし、口も軽い」
トースト片手の客とマスターが下町言葉で繰り広げる会話は爆笑だった。
芸人や落語家もやってくるこの店ではそれも日常らしい。
私は体感していた。
ペリカンという一軒の名店を74年かけて育んだのは下町の文化なのだ。
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買ってきたペリカンの食パンは、映画の中に出てきた伊藤まさこさんのやり方を真似て食べた。
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著者プロフィール
月刊連載『月刊 池田浩明 やっぱりパンでした』 毎月3日公開

icon_ikeda池田浩明(いけだひろあき)

パンラボ主宰、ブレッドギーク(パンおたく)。
パンを食べまくり、パンを書きまくる人。
パンラボblog(panlabo.jugem.jp/)、twitter( @ikedahiloaki )、朝日新聞デジタル「このパンがすごい!」でパン情報発信。
もっとおいしく安全な小麦を日本に広げるプロジェクト「新麦コレクション」代表。