「たまには、北欧以外にしよう」
ちょうど30歳の時、ひとりでポルトガルを訪れた。
スペインのセビージャから、バスでリスボンまで6時間。
当時は通貨がユーロ導入前だったこともあり、
国境を超える旅の運賃は、2千円もしなかった記憶がある。
20代で読んだ、沢木耕太郎の小説「深夜特急」の影響もあってか、
どうしても、西の果てポルトガルへ行ってみたかったのだと思う。
どうしても、小説の中にも出てくる「ロカ岬」で仁王立ちをしたかったのだと思う。
今思うと、ずいぶんと若くて単純な動機だな、と笑ってしまう。
で、
実際に降り立ったロカ岬は、
想像よりもずっと静かで、碧くて、怖くて、せつなかった。
長い時間、目の前の大西洋を見つめながら、これからの人生をなぜか憂いた。
出す当てのない手紙を小さな商店の軒先で書き、
猛スピードで飛ばしまくる誰も乗っていないローカルバスで、
ひどい車酔いと闘いながら麓の町カスカイスへ戻り、
地元の食堂で鰺の塩焼きを食べた。
今でもキュンとする、ロカ岬の思い出。
で、
その結果、
何気なく立ち寄ったポルトガルは、
その前後に滞在したスペインやフランスの記憶を搔き消してしまうほど、
見事に私を魅了してしまい、
帰国後も、
「あー、ポルトガルに行きたい。行きたい。行きたい。」
と、呪文めいた願望となり、いつも心から離れない国となってしまった。
理由を挙げればキリがなく、
干し鱈を使った素朴な料理がおいしい。
ビーニョベルデ(微発砲のワイン)が安い。
時間がゆっくりと流れている。
人々が気取っていない。
イワシの炭火焼きの匂いが漂っている。
ネコが多い。
どこか全体的に野暮ったい。
など、
30歳の私には、渋すぎる理由ばかりなのだけれど、
とにかく相当なポルトガル好きになってしまった。
何よりも、ポルトガルはお酒天国なところが良い。
3度の飯よりワインが好きな私。
そこまで魅了されてしまった最大の理由は、結局そこにあると思う。
大きな甕に注いだ、ヴィーニョベルデをガブガブと飲み浴びて、
食後はポルト酒で〆る。
ジンジャという、サクランボの地酒も美味しいし、
ドーロ地方の赤ワインも最高だし。
ああ。まさに天国。
私の愛するお酒天国、ポルトガル。
美しいアズレージョ。文化と歴史がある国。
食材は新鮮だし、気候も良いし、人々も優しい。
裏路地からファドが聞こえてきて、ゆっくりと猫が通る。
縦横無尽に干された洗濯物と、あちこちから届く炭火の匂い。
当時は今よりも素朴で、物価も安く、どこか枯れたような哀愁があり、
私はそこに、自分の居場所を見つけたてしまったのだと思う。
「あー、住みたい!でも、ここにずーっといたら、ダメになってしまいそう!」
これが、
居場所を見つけてしまった私の、当時の矛盾した気持ちだった。
そしてそれから10年後。
ちょうど40歳になるという年に、念願だったポルトガルの縦断旅行をした。
今度は夫とふたりで、1ヶ月という時間をかけて。
もちろん、
ローカルバスの激しい運転に苦しみながら、あのロカ岬も再訪した。
10年ぶりの西の果ては、
10年という時間を、丸ごと大きく包み込み水平線の向こう側まで運んでくれた。
しかしさー、最高だねー!
ワイン美味しいしさー!ビール安いしさー!
魚介美味しいしさー!イワシもタコもエビもアジも新鮮だよねー。
とにかく、自炊が楽しいよねー!
夫がその1ヶ月間で連発した言葉たちは、
「美味しい」と「安い」に偏り過ぎている。
結果、
夫のつぶやきも私と同じく、
「あー、住みたい!でもここにずーっといたら、ダメになってしまいそう!」
そして現在、
「あー、またポルトガルに行きたい。行きたい。行きたいよ~」が、
夫の呪文めいた、しつこい願望となってしまっている。
たまには、北欧以外の話でも書こうかなあと、
フィンランドの次に好きな国のことを思い出していたら、
ついつい、ワインが飲みたくなってしまった。
で、
結局ワインを飲みながら、このコラムを書いているということを、
最後に正直に報告しちゃおう。
だって、仕方がない。
ポルトガルの思い出は、どうしても私の酒の肴になってしまうのだから。
そして今、
50歳で、またロカ岬に仁王立ちをしたいというキモチが強くなっている。
30歳にあの岬で馳せた想い。
40歳で夫とともに立った西の果て。
50歳は、いったい何を感じるのだろう?
さて、もう1杯ワインを飲みながら、2年後の仁王立ち妄想にしばし浸ろうか。
著者プロフィール
月刊連載『旅のち、たびたび北欧へ』毎月16日公開
伊藤 志保(いとう しほ)
カフェ「istut」のオーナー&厨房担当
自らが買付ける北欧ヴィンテージショップ「2nd istut」も営む
古いモノ、ヨーロッパ、蕎麦、ワインが好き
1969年生まれ 長野市出身