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月の本棚 八月 お菓子と麦酒

「で、一線は越えたんですか?答えてください!」
ニュースを聞こうとテレビをつけると連日のように不倫報道の場面になる。人が誰かと一線を越えたかどうかなど、当事者以外にはどうでもいいことなのに、それ以上重要なニュースがないかのように。

一線を越えるとかいうことについて、小説がならそんなふうに退屈な感じにならない。たとえば、サマセット・モームの『お菓子と麦酒』。

それは実家にあった母の蔵書、モームの全集から手にとった最初の一冊だった。なんとなく口あたりがよさそう、という安易な理由で。後にそれはモームの自伝的要素を含む、本人も気に入りの作品と知った。

『お菓子と麦酒』が発表されたのは1930年。英国を代表する作家として知られる故・ドリッフィールドの追憶記を書こうとする友人が、昔、作家と親交のあった「わたし」に当時のことを教えてほしいと依頼するところから話は始まる。「わたし」はドリッフィールドの最初の妻、ロウジーとの間に秘密があるのだが、それは友人には明かされず、私たちに語られる。

子供の頃の「わたし」は近所に住むドリッフィールド夫妻に遊んでもらっていた。ロウジーは気の置けない明朗さと、悪戯っぽく微笑むチャーミングな瞳の持ち主で、会えば老若男女誰でも彼女を好きにならずにはいられない。しかし田舎町には彼女の悪い噂があり、大人たちは眉をひそめ、陰口を叩いている。そんなある日、夫妻は姿を消す。

再会は「わたし」が学生としてロンドンで暮らし始めた頃。夫妻の家は昔のようにさまざまな人々が集うサロンとなっている。作家を囲む常連たちはしかし、ロウジーに魅かれて来るのだった。彼女はいわゆる魔性の女なのだ。やがて「わたし」もロウジーの虜になる。ところが彼女は恋人の一人と駆け落ちし、またしても失踪してしまう。

追憶記を書こうとしている友人とドリッフィールドの後妻はロウジーを噂でしか知らず、当然、ひどい女としか思っていない。それに対する「わたし」の弁明が印象的だ。

「それは不道徳とかいうようなものではなかったのです。好色とかいうようなものでもありません。それは彼女の天性だったのです。ちょうど太陽が熱を與(あた)え、花が香りを與えるのと同じように、全く自然に彼女は彼女の身體を與えたのです。それは彼女にとって楽しいことでしたし、彼女は他人に楽しみを與えることが好きだったのです。それは彼女の人格になんの影響もありませんでした。彼女は依然として誠実で、無邪気でした」

ロウジーには邪気がなく、美しく光り輝き、誰のことも悪く言わないのに対し、批判する人々は顔をしかめ、裏で彼女を罵る。何がよいことで何がよくないことなのか、世界が次第に揺らぎ始める。

最後に初老の「わたし」がロウジーと再会するシーンがもう一度だけある。「わたし」の成長と同時に一回り年上の彼女も歳を重ねている。「わたし」と彼女の関係性は最後までビターで甘く、ちょっと滑稽で、せつない。

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『お菓子と麦酒』サマセット・モーム著 上田勤訳(新潮社 1955)


著者プロフィール

月刊『月の本棚  清水美穂子のBread-B』毎月24日公開
icon_shi 清水美穂子
ライター・ブレッドジャーナリスト

普段はBread+something good(パンと何かいいもの)をテーマに執筆・発信していますが、ここではBread-B。Bを外してしまって、Reading周辺のsomething goodを書いていきたいと思います。
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