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星月夜のコスモローグ

 この星月夜は、渦を巻くゴッホの絵画ではありません。1923年1月、関東大震災の年に稲垣足穂が発表した著名な作品に因んだものです。そこから一部引用しましょう。

星でパンをこしらえた話
 夜更けの町の上に星がきれいであった たれもいなかったので 塀の上から星を三つ取った するとうしろに足音がする ふり向くとお月様が立っていた
「おまえはいま何をした?」
 とお月様が云った
 逃げようとするうちに お月様は自分の腕をつかんだ そしていやおうなしに暗い小路にひッぱりこんで さんざんにぶん殴った そのあげくに捨セリフを残して行きかけたので 自分はその方へ煉瓦を投げつけた アッと云って敷石の上へ倒れる音がした 家に帰ってポケットの中をしらべると 星はこなごなにくだけていた Aという人がその粉をたねにして 翌日パンを三つこしらえた

 二十歳のころ、『一千一秒物語』に出会った。70のショートストーリーが連なり、引用したこの33話にも全体を貫く表象が詰め込まれている。たとえば夜、その主役たる星と月、語り手の「自分」は絶えず弄ばれる。
 70の小話のタイトルにも、月が16回、星が11回、顔を見せる。話のそこかしこにガス燈が点る。夜の印象に囚われるが、タイトルには出しゃばらず、「真夜中の訪問者」「月夜のプロージット」、この2回にとどまる。もう百年近く昔の作品だが、英語の題名が15、フランス語だって1つ。29話 TOUR DU CHAT-NOIR(黒猫の塔)。そう言えば、26話「箒星を獲りに行った話」では、握りしめた紙片にこんな忠告まで。Ne soyez pas en colère! (怒ってはなりませぬぞ!)。そうそう、猫もしょっちゅう姿を見せるが、犬にはついぞ出会ったためしがない。
 「さんざんにぶん殴った」だの、「煉瓦を投げつけた」だの、溢れる暴力性が作品のタッチに軽快の彩りを添える。血生臭さは初めから消し去られ、陰惨にも悲惨にもシュレッダーがかけられる。もはやどこにも読み取れない。どうやら戦前は徴兵なんぞで、ずっと身近に感じられたものか、めったやたらとピストルが引き抜かれ・・・・ばかりか、撃ち放される。バーン ズドーン タバコもシガーも頻りに吹かされ スパスパ かくも紫煙の夜話よ ゴホンゴホン フー
 7月、「初めて宇宙に手が届いたころ」の締め括りに、私はこんな問いかけを残した。大人になると、たとえ「宇宙の端」に思いが及んでも、始原の、少年期の、みずみずしい恐怖が再現しないのだが、これはなぜか、と・・・・大方は、雑事に紛れた感受性の鈍化によるもので、面の皮が分厚くなったからだと思う。ただ、『一千一秒物語』をいま読み直したとき、そこには次元をたがえるもうひとつの答えがほんのりと浮かび上がった。そして22話「ポケットの中の月」に再会した時、それは確信にも近づいた。この作品が宇宙をめぐる少年時の慄きを逆転し、倒錯もさせて、等身大のものにしてくれたのか、と。
 愕きと怖れが逆転され、倒錯されたことで、「宇宙よりも広い世界」が構想できるようになった。等身大になると持ち運びもできる。それは文庫本、スマホ、iPod、ウォークマンにも比べる術がない。電源はなくて透き通り、元も子もなく、途轍もなく硬くて、そのくせ量っても量っても、重さがない。(慄き=おののき、愕き=おどろき、怖れ=おそれ、です)
 以来、秋と冬は留め金のないジャンパーの内ポケットに、春から夏場になると狭苦しい万年床のようなジーンズの前ポケットに、私は〈宇宙〉を忍ばせて出かけるようになった。昼夜の別なく、そこからの指令で筆を運び、そのうちキーボードも叩きのめす。それが目覚ましくも荒々しい。お腹が空いてどうしようもない時は、頭の中が懐中に手を伸ばして摘まみ食いに興じた。こうして「宇宙よりも広い世界」の片隅で、私はどうにか暮らせるようになった・・・・
 最後に、すでにお気づきやご承知の方もいらっしゃるだろうが、引用の文章はちょっと変わってる・・・・句読点がどこにもない。このことは全篇にわたる。今回、私も少し真似をして、一部だが句読点を省いた。当初は一部ではなく全部、と意気込んだが、書かれるものの特性が受け入れないようだ。だけどその前に、「一千一秒」の1秒とはひょっとして、空白に挟まれたそれぞれの語句ではないのかと、今頃になって思い当たった私は念のため辛抱強く、心に虫眼鏡を当てて初めから数えてみた。すると終わり近くで1001を上回る。とはいえ、単位の捉え方もあるだろうし、憶測はまだ消えない。そうなると3文字の1秒があって、30字の1秒もある。「星でパンをこしらえた話」は19秒かかる。

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「一千一秒物語」からは遠ざけられたお日様がくすんだ冴えないお顔を見せてくれます。それも違う日、違うところで。


(左 2012年12月 群馬県立館林美術館 右 2013年3月 北陸自動車道にて)

PS フランスの歌手Keen’Vの新作「7」を入手。12年の初め、パリで彼の作品に出会ってから、結構まめに聴いている。今回の3曲目、Le Plus Beau Des Cadeaux、この世でいちばんの贈り物、夭折した妻に語りかける父親と年端も行かぬ遺児、女性のヴォーカルは母を慕うこの少女の願いをリフレインする・・・・パパ、お空を飛べる仔馬が欲しい、もう一度ママに会うから、あんな高いところにいるけどね、そしたら、ね、ママは独りぼっちじゃないでしょう・・・・
 歌われる彼女の願いはもちろん、パリの、ニースの、バルセロナだけのものではないでしょう。ご興味のある方は、以下のYou Tube official video lyricsで。ではまた。


 

著者プロフィール

mensuel『一路多彩 -pluralité unique-』毎月10日公開
nina蜷川泰司(にながわやすし)

1954年京都市に生まれる。文芸作家。2003年に最初の長篇『空の瞳』(現代企画室)でデビュー。2008年には、対話的文芸論『子どもと話す 文学ってなに?』(現代企画室)を上梓。
2013年の作品集『新たなる死』(河出書房新社)の冒頭を飾る「コワッパ」の執筆にあたっては、舞台となるル・プチメック今出川店からのご協力をいただき、店舗への取材を重ねている。
21世紀の初めから現在まで、第二の長篇『ユウラシヤ』に取り組んでいる。2015年9月、そのプロローグにあたる『迷宮の飛翔』(河出書房新社)を発表。今年(2017)は第1部にあたる新作『スピノザの秋』を刊行する。