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蛸のサンダル 第16話 one and only

‘Ladies and Gentlemen, please welcome one and only Philippe Conticini!’
紳士淑女の皆様、拍手でお迎えください、唯一無二のフィリップ・コンティチーニです!

グラミー賞の司会が登場アーティストを紹介する時の、one and onlyという言葉が好きだ。音楽家だけでなく、わたしの周りにいる食の世界の天才たちにも、いつも冠したいと思っている。ずば抜けた才能、真似のできない個性、新しい味覚の表現者。すべての賛辞を’one and only’とシンプルに深く凝縮する言葉。

あまり頻繁には会えないが、会うたびに本当にこの人はone and onlyだなあと思うのが、フランスのフィリップ・コンティチーニさん。デセール(デザート)、パティスリー、ガストロノミー(料理)の世界を革新的に導いてきた巨匠の一人であります。

レストラン「ラ・ターブル・ダンヴェール」のシェフパティシエだった1990年代には、料理に使われる技法をデセールに取り入れ、さらに平面的だった皿盛りのデセールを立体に置き換えてグラスに盛る「ヴェリーヌ」を発表。層に重ねたパーツをスプーンですくって食べることで、彼が意図する順序と組合せによってお客の口の中に運ばれ、味を感じてもらえるこの手法は、彼の名声を確固たるものにした。

デセールの人というイメージに止まらず、料理番組をもったり、大衆食材を使ったグルメ本も出版。また、パティスリー(レストランで提供するのではなくテイクアウトできる菓子店)では古典菓子を現代的に再解釈するというムーブメントを始めた一人でもある。

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2006年刊行の大衆食材を使ったグルメ本。キャンベルスープを模した表紙。一口大の前菜やサンドイッチ、スパゲティ、デザートまで。「エスカルゴ ワサビ」なんてものもあり、S&Bのねりワサビがエスカルゴ料理の横にどーんと写っている1品も。かなりユニークな仕上がり。

コンティチーニさんに初めて会ったのは2002年。彼がパリのペルティエのディレクションをしていた時のことだから、もう15年になる。わたしはレストラン雑誌「ダイニング」を立ち上げたばかりで、変革期を迎えたレストランシーンを伝えようと意気込んでいた。パリでコンティチーニさんのデセールが撮影できると聞き、勇んで行ったのだが、よく考えたらお菓子のことなどちっとも知らなかったのだから、勇気があるというか無謀と言おうか。ともかく挨拶をして、ペルティエの1階でクロワッサンとカフェの朝ごはんを一緒に食べ、その後、ホワイトチョコレートの菓子「サテン(フランス語ではサタン)」を食べたように記憶している。

ホワイトチョコレートには酸味が絶対に必要なんです、と彼は言い、その通りにアプリコットとバジルが組み合わさっていた。食べたのことのない味だが、すごく食べやすく、おいしかった。それからボンボンショコラを食べた。彼のフランボワーズのボンボンショコラは、口に入れた時に薄いコーティングチョコレートと柔らかいガナッシュが一緒のタイミングでスッと溶け、口の中にはフランボワーズの香りが鮮やかに充満した。いまでもあれが、一番おいしいフランボワーズのボンボンショコラだと思っている。

それは生まれて初めてパリに行ったという興奮で美化されたのでは?と思うかもしれない。いや、実をいうとまったく興奮していなかった。冬のパリは薄暗く、石造りの街は東京・新宿生まれのわたしの目には見慣れた都会の風景で、コーディネートしてくれたマダムに感想を聞かれ「大手町に似てますね」と言った、感じの悪い女なのだ(あとでマダムはスタッフに「あなたのボスはなかなかやるわね」と言ったらしい)。いまになって、あの時は可愛げがなかったなと反省するのであります。

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2003年「dining vol.04」(柴田書店)掲載のコンティチーニさんのデセール講座。写真は青リンゴの小さなグラスのバリエーションで、青リンゴとニンジン、青リンゴとイチゴ、青リンゴとアプリコットの組合せ。スパイスやリキュールなど使用素材は複雑。

コンティチーニさんとの付き合いはそれからも続き、日本のペルティエのリニューアルで来日した年には、発表会の日がたまたまわたしの誕生日。××歳の誕生日なの、と言うと彼は驚いて「ノンノン。マダムアサイ、女性は年齢を教えなくていいんです、あなたはいつでも24歳だ、おめでとう!」とハグしてくれた。さすがフランス男は心遣いが違うと感心し、それからわたしはずっと24歳ということになっている。世界のコンティチーニがいうのだから、間違いないのである。

京都に「ラ・パティスリー デ・レーヴ」をオープンした時にはトークショーも一緒に行なった。その時聞いた話では、有名になる前の彼は引っ込み思案で人見知りだったという。「体が大きいでしょ、太ってると言われたくないから、厨房に隠れてデザートをつくってました」しかし運命は彼を外へと連れ出す。著名な料理評論家がデザートを食べて、これは誰がつくったんだ?と聞き、会いたいと言ってきたのだ。仕方なく顔を見せると評論家は「素晴らしい、君は天才だ!」と激賞。それから彼の人生は大きく変わった。

さて、こんなふうにエピソードを書いていくと本が一冊書けてしまうほどなので、このへんで。ドラマを生きているコンティチーニさんが、蛸サンのためにイラストを描いてくれました。

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「えー?絵はうまく描けないんですよ」と5回ぐらい繰り返しながら、描くフィリップ・コンティチーニ画伯。ちなみにお嬢さんはイラストレーター志望らしい。

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なんかシュール。足が、6本?5本?右のは何??「魚の尾びれです」んー、これぞone and onlyの味わい?なのか?

銀座SIXにオープンした新しい彼自身のブランド「フィリップ・コンティチーニ」のカウンターにて。パリでの開業と前後したため、この店が1号店になる。パリ店は今年中ぐらいにはオープンする予定とのこと。キャリア30年の巨匠が、これからどんな世界を見せてくれるのか楽しみにしております。


著者プロフィール
月刊連載『蛸のサンダル』毎月6日公開
icon_asai浅井 裕子

出版社 柴田書店勤務。外食業担当からキャリアをスタートし、料理技術、宿泊業、製菓製パンなど幅広いジャンルをカバーする食の編集者。パティシエの小山進さんや辻口博啓さんの書籍などを担当。「mook 洋菓子材料図鑑vol.4」編集長、「mook The Coffee Professional」編集長など。趣味はベランダ園芸。今夏はジャガイモとナスを栽培中。