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11月 BEAUJOLAIS NOUVEAU

 外国語を正確にカタカナ表記するのは難しい。11月第3木曜日の解禁日が近づくと、いつにも増してそれを意識する。「ボージョレ・ヌーボー」なのか「ボジョレー・ヌーボー」なのか、さらに言えば「ヌーボー」がいいのか「ヌーヴォー」なのか。カタカナで表現しきれない音が含まれているから、どちらも正確ではなく、ゆえにどちらも正しいというのが一般的な答えらしい。ならばぼくは使い慣れている「ボジョレー・ヌーヴォー」と書くことにする。
 去年の解禁日はワイン好きの友人と、たまたま神戸に居た。夕方になって「この辺りに、ボジョレー・ヌーヴォーを飲める店はないかな?」と尋ねると、友人は「え、ヌーヴォーを飲むの?」と驚いた。可能なら必ずと返す。彼はさらに目を丸くする。ワイン好きほど、ヌーヴォーは美味しくないと言うことが多い。ぼくも自然派ワインばかりを飲むようになるまではそう思っていた。
 ヌーヴォーと聞くとバブル時代を思い出す。成田空港に待機して日付が変わるのを待ち、そこで世界でいちばん早くヌーヴォーを飲むというお祭り騒ぎのニュース映像が、まず頭に浮かんでくるからだろう。その行為にはいつも鼻白む思いがしたし、それほど美味しくはないとも思っていた。だから興味がなかったのだが、それが一変したのは、自然派のボジョレー・ヌーヴォーを飲む機会があった年だ。10年くらい前だったろうか。美味しくないと決めつけていたものが、鮮烈な新鮮さを楽しむ酒なのだと感じ取るようになり、以降は恒例なった。何種類も飲んでみる年もあった。そんな中で、マルセル・ラピエールという醸造家のヌーヴォーを知る。エチケットをぼくの好きなフランスの風刺画家のシネが描おろしていたのだ。空にしたボトルをいまだに何本か取ってある。
 神戸に話を戻そう。友人はわざわざヌーヴォーにしなくても、その時々にいちばん美味しいのを頼めばいいのではないかと言う。それは正しいけれど、解禁日にヌーヴォーを飲むのは少し意味が違って、葡萄の神様に感謝を捧げることなのだと思うと、ぼくは持論を展開した。「たくさんの美味しいワインをありがとう、そして新しいシーズンにもたくさんの美味しいワインに出会えますように」ということなんだよと言うと、友人はようやく納得して、ここならあるはずという店に連れていってくれた。ぼくらは葡萄の神様に乾杯した。一度で充分なのに何度も。
 さて、今年は解禁日に自然派のヌーヴォーを飲むことができるだろうか。ぼくはその日、岡山に居る予定だ。

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著者プロフィール

月刊連載『好物歳時記』毎月14日公開
icon_okamoto岡本 仁(おかもと ひとし)

ランドスケーププロダクツ
北海道生まれ。いろんな町をブラブラして、いつも何か食べてる人
と思われていますが、いちおう編集者です。
著者は『ぼくの鹿児島案内』『ぼくの香川案内』『果てしのない本の話』など。
雑誌『暮しの手帖』で「今日の買い物」という旅エッセイを連載中。