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月の本棚 十一月 且坐喫茶

茶道や剣道のように「道」の字がつくものが趣味と異なるのは、意を決して始めないと始まらない、ということだ。門に入り、先生について、くり返し稽古する。仕事でも遊びでもないけれど、勉強でもない。いつまでも「わかる」ことがないようだから。

茶道には、建築、美術工藝、料理、菓子、香、花、書、禅語、着物……と、さまざまな要素が含まれる。わたしは着物を入り口としてお茶の道に入った。そして、先生に会うのを、何よりの楽しみにしている。だから、『且坐喫茶』で「お茶を習いに行っていたのではなく、先生に会いに行っていた」という一文に共感した。

これは、作家のいしいしんじさんによる、茶事の体験を綴った本。お坊さんに牧師さん、茶杓師に陶芸家、和菓子作家、茶道家など、さまざまな人に招かれて、趣向を凝らしたお茶のひとときを持つのだが、その表現は、美しくもアバンギャルドな映画を観ているかのよう。これほどまでに彼をトリップさせてトランス状態にさせるお茶とは一体、何なのか。

「あいまいにしない」

いしいさんの、今はなき先生はいつもそう注意されたそうだ。
面倒でも手順を飛ばさない。ひとつひとつ、ゆっくりていねいに。
ここでまた、わたしは共感する。仕事も、お茶を点てるようにすればいいと思っている。
お茶の点てかただけの話ではないと、いしいさんは解釈する。
「あいまいに生きるのはもったいない」のだと。

街でも、一歩一歩、ないがしろにせずに歩けば、「あらゆるものが、真新しい光を帯びて目にはいってくる」。「ほんの十分間の歩行も”旅”にかわる」。そういう旅なら、わたしもよくする。

日常の時間は途切れないけれど、旅には始まりと終わりがある。京都の千本ゑんま堂での除夜釜について書いた「終わる、始まる」の章で、彼は言う。「お茶とは、旅ではないのか」

人間は、自分の始まりも、終わりもおそらく意識として認知できないから、生きている時間を引きしめるためにも、たまに、終わりに触れることが大切なのだという。旅や、一期一会の真剣なお茶によって。

「ろうそくのゆらめき、炭の香り、帛紗(ふくさ)の音に、全身の感覚をひらいて向きあう。おなじ舟に乗り合わした客のように。いや、よりもっと似ているのは、臨終の席かもしれない。炉を中心に、年も住まいもばらばらな人間が集い、いまを盛りに燃えている炭の火を浴びて、躍りあがる桜の下、終わりゆく年を看取っている。もちろん、陰鬱さ、湿っぽさはない。あるわけがない、ほんとうに生きた人間の死が、どこか、光の通路へ吸い込まれていく姿として映るように」

そんな千本ゑんま堂の大晦日に、行ってみたい、と思う。茶筅供養もしたいのだ。

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『且坐喫茶』 いしいしんじ 著(淡交社 2015)


著者プロフィール

月刊『月の本棚  清水美穂子のBread-B』毎月24日公開
icon_shi 清水美穂子
ライター・ブレッドジャーナリスト

普段はBread+something good(パンと何かいいもの)をテーマに執筆・発信していますが、ここではBread-B。Bを外してしまって、Reading周辺のsomething goodを書いていきたいと思います。
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