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瞬く穴場に

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 はるけき野邉を、分け入り給ふより、いと、
物あはれなり。秋の花、みな衰へつつ、浅茅
が原も、かれがれなる蟲の音に、松風すごく
吹(き)あはせて、そのこととも、聞きわかれ
ぬ程に、ものの音ども、たえだえ聞えたる、
いと艶なり。
      - 源氏物語 賢木より -

 引用の舞台は当時の嵯峨野(京都市右京区)。息子の斎宮に付き添い、自らも京を出て、伊勢に旅立つ六条御息所との別れを惜しみ足を運んだ源氏を出迎える、秋もたけなわの情景・・・・この写真の眺めは今しも北に向かっている。南に振り返ると・・

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 これは嵯峨野にあらず。紅葉の絶景を求め、人車引きも切らぬ西方の別天地、かの隠逸の里ではなくて、平安期には大内裏(天皇の住居と諸官庁を含む)の北東角。京都市上京区、街中である。

 流れるは堀川。物の本によると運河で、首都の整備に用いる資材(主に材木か)を運ぶために増設されたときく。こんなせせらぎをどうやって、と思われる向きもいらっしゃるだろうが、こうなったのはごくごく最近のお話で、以前は近づくにも難を極める、面妖な川筋だった。たとえば・・

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 これは小径の南端、一条戻り橋(一条通と堀川通の交差点の一部にかかる)から、すぐ北側の以前の様子をとらえたものだろう。ごらんのように川幅は2~3倍広く、水はほとんど流れないが、川底への接近は何やら憚られた。

 この写真の右手の川沿いには児童公園がある。私は少年期もこの地に暮らしたが、ボールを落としてしまうと、回収は難渋した。それが近年、市の整備事業によって、前の2枚のような風物に姿を改めた。整備事業などと聞くと元からの「緑が損なわれ」などとマイナスのイメージを私などは抱きがちだが、この地に限って申し上げれば、随分と快適にして馴染みやすいものへ変身をとげた。
 堀川はここからもっと南の、暗渠に転じる手前の二条城辺りまで整理され、せせらぎと遊歩道が続く。そちらは元々の川幅も広く、空が大きく開ける。深い茂みに包まれるのは、一条通から北の百数十メートルばかり。これが私の仕事場への通い路になる。余程の悪天候に見舞われぬ限りは、東側の東堀川通よりもこちらの人道を愛好する。自転車も入れない。その間に世界が、その様相が一変する。さてここいらで、ちょっと西側にわたりましょうか・・

   えっと・・・

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 お、これはこれは、お誂え向きの置石が →
ありました。では、あそこから・・

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 あらら、バスですか。ちょうどいま通り過ぎまし
た・・・

c_nina23-8 ややっ、これは?
 すっかり大通りじゃないですか・・・


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      ここでも振り返って、
      南を見ると・・・

 こんな大通りが小径のすぐかたわらを走ってた。

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 あのビルの向こう隣には、最近人気スポットになっている清明神社があり、さらにそのまま300メートルくらいも進むと、そこにはル・プチメックの今出川店が待っているのですが・・・・おや、お地蔵さんだ。
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 またしばし時も流れ、秋もさらに深まると・・・

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 あか月の別(れ)はいつも露けきを
  こは世に知らぬ秋の空かな(源氏)

 おほかたの秋のあはれも悲しきに
  鳴く音なそへそ野邉の松蟲(御息所)


 11月13日朝、京都御所にて西空に向かふ

 みなさま、良いお年をお迎えください。来年もまたよろしく。


 

著者プロフィール

mensuel『一路多彩 -pluralité unique-』毎月10日公開
nina蜷川泰司(にながわやすし)

1954年京都市に生まれる。文芸作家。2003年に最初の長篇『空の瞳』(現代企画室)でデビュー。2008年には、対話的文芸論『子どもと話す 文学ってなに?』(現代企画室)を上梓。
2013年の作品集『新たなる死』(河出書房新社)の冒頭を飾る「コワッパ」の執筆にあたっては、舞台となるル・プチメック今出川店からのご協力をいただき、店舗への取材を重ねている。
21世紀の初めから現在まで、第二の長篇『ユウラシヤ』に取り組んでいる。2015年9月、そのプロローグにあたる『迷宮の飛翔』(河出書房新社)を発表。第1部にあたる『スピノザの秋』を先月刊行したばかりである。