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第二十四回 映画「チョコレートドーナツ」

http://bitters.co.jp/choco/introduction.html

あなたは愛に生きているか?
そう問われているような気がした。

ゲイのパフォーマーであるルディと、エリート検事のポール。
2人がショーパブではじめて出会い、愛し合った翌日、ダウン症の少年マルコがルディの前に現れる。
まるで愛によって授かったように、3人は家族になっていく。

ドラッグの所持で逮捕されて天涯孤独の身となったマルコを不憫に思い助けようと、ルディはポールを頼る。
そのことがルディとポールを近づける。
ゲイであることが公になるとキャリアが傷つくと考えてポールはルディと距離を置いていたのだ。
1979年、ゲイであると人としての権利が踏みにじられ、職さえ失う時代。

ルディは愛に生きる。
実の母親に放置され愛を失っていたマルコに愛を与え、歌を愛し、ポールを愛する。
怒り、よろこび、率直に感情をあらわにしながら。
ポールはルディを愛しながらも、法や世間体で管理された体制側の人だ。
なぜ、そんな非人間的な冷たい鉄格子の側にくみするのか?
人は愛のために生きるべきではないのか?
ルディの生き方はかたくなな心を熱く溶かすように、ぐいぐいとポールに、そして観る観客に迫ってくる。

人は子どもを産んだから無条件で親で「ある」のではなく、親に「なる」のだ。
一人目の子どもを授かって、1ヶ月ぐらいした頃の、私の結論だ。
私は一人っ子で兄弟とも遊んでこなかったし、ペットも飼ったことがなく、子どもをどんなふうにあやせばいいのかもわからなかったが、子どもと心を通わせる術を少しずつ学んで、世間の親たちが抱くあたたかい気持ちを知った。
血のつながりはなくても、家族になれる。
おはなしをしてもらって眠りにつき、愛のこもった視線や世話を受ける中でマルコがはじめて愛を知って、あたたかい感情に包まれて幸福な笑顔を浮かべる。
(それがあるからラストの号泣につながる)

マルコの大好物はチョコレートドーナツ。
2人はそれをマルコに与える。
「甘さ」は映画の中で「愛情」を意味することを、私たちはこの連載の中で学びつつある。
「甘い親」とか「甘やかす」と言うごとく。
甘くすることは、お手軽ではあるが、本当の愛情ではない。
砂糖が健康な体を作るかといえばまた別物であるのとちょうど同じように。
アメリカではきっともっともお手軽なおやつにちがいないチョコレートドーナツしかマルコが食べなかったことは、彼が母から大事にされていなかったことのメタファーになっている。
いや、すべてのチョコレートドーナツがジャンクフードなのではない。
愛情のたっぷり入ったチョコレートドーナツの味はえもいわれないものだ。

ルディを演じるアラン・カミングのすばらしさ。
一本の映画の中で、彼ほど完璧に「女」と「男」「怒り」と「いつくしみ」を演じ分けられる人を私ははじめて見た。
そして歌声のすばらしさ。
きれいなだけでなく、感情をかきむしる声である。

私のところへ来て
あなたの世界が空っぽで冷たいのなら
私のところへ来て
腕の中で温かく守ってあげるから(Come to me)

単なるゲイ差別の映画ではなく、自分ごととして見た。
「空っぽで冷たい世界」が「愛」を追い詰めていくような事態が、twitterを見ればタイムラインにあふれている。
迫害されているのは少数派の誰かではなく、私たちひとりひとりの「愛」だ。
声を上げることを恐れず、あたたかさで誰かを守ることを躊躇してはならない、そう思いはじめた。

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著者プロフィール
月刊連載『月刊 池田浩明 やっぱりパンでした』 毎月3日公開

icon_ikeda池田浩明(いけだひろあき)

パンラボ主宰、ブレッドギーク(パンおたく)。
パンを食べまくり、パンを書きまくる人。
パンラボblog(panlabo.jugem.jp/)、twitter( @ikedahiloaki )、朝日新聞デジタル「このパンがすごい!」でパン情報発信。
もっとおいしく安全な小麦を日本に広げるプロジェクト「新麦コレクション」代表。