title_nagahama

フィル・ライノット その1

1990年代半ばまで海外旅行の航空券は直接旅行会社に出向いて購入していた記憶がある。今のようにインターネットで予約クレジットカードで決済とは随分異なっていた。渡航先の情報もアメリカやヨーロッパの主要都市ならまだしも、アイルランドなどは皆無に等しく、薄い一冊の旅行書だけが手がかりだった。大学の卒業研究の名目で初めて訪れたアイルランド、実際にはもう一つの目的のほうが大きかったともいえる。そのもう一つの目的とはフィル・ライノットのお墓参りだった。私が学生時代心酔したアイルランドのロックバンド「シン・リジィ」、フィル・ライノットはそのバンドのフロントマンで、1986年1月4日に他界したあと雑誌で追悼特集が組まれていた。その中にあった一枚の写真には「ダブリン郊外のサットンに眠るフィル・ライノット」の一文とともにお墓の様子が映し出されていた。サットンそうその場所にいつかは行ってみたい、「ダブリン郊外サットン」ただそれだけの情報しかなかったのだが、アイルランドに行きさえすれば、なぜか不思議とたどり着ける気がしていた。
初めての海外旅行でいくアイルランド。今では考えられないがアメリカ周り、ニューヨーク、ロンドンを経由、しかもニューヨークではエンジントラブルで4時間以上機内で待たされ、ロンドンでは予定のダブリン行きに乗れず、やっと到着したダブリンではロストバゲッジと、散々なスタートだった。
翌日ダブリン市内を歩いていると男性が声をかけてきた。どうやら私が着ていたシン・リジィのTシャツをみたようで、「この道の先にシン・リジィの写真を沢山飾っているお店があるから覗いてみるといいよ。Sound & Lighting というところ。」早速お店を覗いてみるとそこは看板の通り、音響と照明を扱うお店にシン・リジィのモノクロのツアー写真が沢山飾ってあった。店に入ると店主らしき男性が「シン・リジィのファンか?」と声をかけてきてくれた。「この写真はこのリアムが撮ったものだよ。」と隣の男性を紹介してくれた。後で知ることになるのだが、その人物が初期のオフィシャルフォトグラファー、リアム・クイックリーだった。リアムと挨拶を交わすと、そのあと何か続けて話かけてくれたのだが、リアムはとても早口でアクセントが強く、私が少し困っていると、先ほどの男性が「今晩もいつものパブでリアムと彼の兄さんと一杯やっているからそこにくるといいよ。リアムの兄さんは若いころフィルともバンドをやっていたんだ。」
アイルランドの魔法にかかったような連鎖のはじまりだった

32年の月日がたち一つの節目を迎えた今年の1月4日。東京でシン・リジィのアルバムを聴きながら、墓石に刻まれた「Go dtuga Dia suaimhneas da anam (アイルランド語で安らかに眠れ)」という言葉を思い出した。

※毎年1月4日、フィルのお墓に多くのファンが訪れている。
c_naga24

 


著者プロフィール
月刊連載『パイント・オブ・ギネス プリーズ!』毎月8日公開
icon_naga長濱武明(音響空間デザイナー・アイルランド音楽演奏家)

1992年に初めて訪れたアイルランドでアイルランド音楽と特有の打楽器であるバウロンに魅了され、以来十数回の渡愛の中で伝統音楽を学び、建築設計の実務も経験する。現在は音響空間デザイナーとしての業務をこなしながら、国内におけるバウロンプレーヤーの第一人者として国内外で演奏活動をする他、プロデューサーとしてコンサートやワークショップを主催している。
バウロン情報サイト バウロニズム https://www.facebook.com/Bodhranizm