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第二十五回 映画「ティファニーで朝食を」

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丸の内にやってきた。
自分に似つかわしくない街にちょっと緊張。
お目当てのティファニ-は、遠くからでもすぐ気づくほど、堂々とそびえ立つ。

「ティファニーで朝食を」ごっこをする。
それなに? という方のために(てか、誰もわからない)、ちょっと説明。

映画「ティファニーで朝食を」はこんなふうにはじまる。
人影まばらな朝のマンハッタン。
タクシーから降り立つ、美女ひとり(ご存知、オードリー・ヘップバーン)。
大胆に背中の開いた黒のドレスを着て、ハイヒールを履いた華奢な足が、つかつかとティファニーのショーウインドウに近づく。
彼女は抱えた紙袋の中からコーヒーを取り出し、手がふさがっているのでそれを口でぱくっとくわえておいて、さらにデニッシュ(アメリカンサイズの大き目の、パン・オ・ショコラかパン・オ・レザンか判別不可能)を出す。
黒い手袋を外しもせず、そのままつかんだデニッシュを、ティファニーのショーウインドーから目もそらさず、ぱくり。
ありとあらゆるマナー違反を犯して、みじんも翳りを与えないどころか、ますます美貌は輝く。

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やってみたい。
お上品ではないが、一口だけ許してもらえないだろうか?
そういえば、私の手袋も黒だ(そんなにエレガントじゃないけど)
丸の内の路上、ショーウインドウを見ながら、ぱくり。
うーん、バターの香り、エアリーな食感。
いつも思うけど、デニッシュって、天国にいちばん近い食べ物だ。
目の前にはオープンハートのペンダント。
ダイヤモンドってきらきらきらきら、赤だの緑だの青だのいろんな色の光を放って輝くものなんだな。
目も口も、完全に幸福なものだけで満たされ、目を塞ぎたくなる現実から一瞬だけ逃れられる。
ホリー・ゴライトリー式数百円で幸せになれる方法。

ティファニーで宝飾品の数々に目を奪われながら、ホリーがつぶやいたこと。
「ここには幸せなもの以外なにもないから、私はティファニーが好きなの」と。

ホリー(オードリー演じる)は、同じアパートに住むポール・バージャクと結ばれた次の日、図書館で出会ったポールを無視。
ブラジルの大金持ちと結婚するため南半球事情を猛勉強、あなたにもう興味はないのと。
愛なんてセンチメンタリズムは生きていくために必要のないもの。
いまここにいる大事な人よりもティファニー。
愛を見失った現代人へ鋭く鳴らす警鐘?

映画公開から50年以上も経って、2010年代の私たちは、当時と少しちがったフェイズにたどりついた気がする。
みんなユニクロで満足。
ティファニーみたいに誰もがあこがれて、そのためにがんばろうと思えるモノがもはやない(だから経済成長しない)。
モノをもつより、みんながモノを捨てたくて捨てられなくて困っている(なんなら放射性物質も断捨離したい)。

映画も変わった。
女優は全員、庶民派か個性派。
銀幕の大スターが絶世の美女、という時代はいまや昔。
オードリー・ヘップバーン、ノーリターン。
変わらないのは、デニッシュのおいしさだけ。

 


著者プロフィール
月刊連載『月刊 池田浩明 やっぱりパンでした』 毎月3日公開

icon_ikeda池田浩明(いけだひろあき)

パンラボ主宰、ブレッドギーク(パンおたく)。
パンを食べまくり、パンを書きまくる人。
パンラボblog(panlabo.jugem.jp/)、twitter( @ikedahiloaki )、朝日新聞デジタル「このパンがすごい!」でパン情報発信。
もっとおいしく安全な小麦を日本に広げるプロジェクト「新麦コレクション」代表。