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蛸のサンダル 第20話 新しいラーメン

2月になり、東京に二度目の雪が降った。雪国の人は笑うだろうが、東京生まれは雪を特別なものと思っている。街を白く冷たくおおいつくし、見慣れた樹々も芸術のようにドレスアップさせる。雪は音を吸い込むから、夜は静かで、私もふと物思いをする。

これからどんな時代になるのだろう?

なんて、格好良いことはあまり考えていない。たいていは、今度の休みに何をつくろうか? 台所仕事の楽しみについて、思いを馳せているのであります。

昨年後半から熱心に繰り返しつくっているのが生パスタ。粉をこねるのはフードプロセッサーやミキサーにまかせて楽をする。なんでも「手で」つくらなければなんて思っていない。厨房機器のほうが、わたしより熟練していて力も強く、正確で清潔だと思っているから、楽しいと思える部分だけを手作業にする。ちなみにパスタカッター(のしてカットする)も電動モーター付きだ。

パスタづくりをあれこれ試行錯誤する時に、SNSを通じて、さりげないアドバイスをくださるのが大阪のイタリア料理店「ポンテベッキオ」の山根大助シェフ。イタリア修業から帰国後、若くして独立開業し、今では創業30周年の大ベテラン。グループ店舗を展開し、輩出したお弟子さんも多数、関西イタリアンの巨匠として広く敬愛されている。

山根さんは柔軟で研究熱心な人だ。いち早く国産素材の開拓をはじめ、最新機器や科学も導入し、イタリア料理の基礎の上に、オリジナリティを打ち立てている。厨房では”めっちゃ厳しい”との噂だが、味と品質を追求すれば、どの料理長も当然そうなるだろう。本当はユーモア溢れた親切なジェントルマン。そんなお性格も、心底イタリアだなあと思う。

なのに。
年末、久しぶりに会った山根さんから出た言葉は意外なものだった。
「僕ね、こんどラーメン業態やろうと思ってんねん」
え?ラーメン?イタリアンの巨匠がですか?

鶏ガラ、丸鷄、豚骨少々を材料として、スープは圧力をかけてゼラチン質を抽出。圧を抜いたところに、生ハムや昆布やあれこれを60〜80℃で抽出物したエキスを加える。豚ではなくて牛にするかもしれない。醤油ダレはホタテをひも付きで炒めて、オイスターソースを作るところから。香味油もニンニクなどの香りを移した自家製で。麺は3種類、これは製麺所から選んで・・・。

もうすっかりプランが出来上がっているのであります。一体なぜ?

「これからの時代、高価格業態の未来は暗い。だから、低価格業態で、本当においしいものをつくっていかなくちゃいけない」
と山根さん。よくよく聞いてみると、どうやら食べに行ったラーメン店で、うちのスープは鯛の頭を7時間以上炊いている、と説明されたことが発端のよう。魚介や甲殻類の出しをとる時は、短時間でうまみを抽出するのがレストランのセオリー。長時間加熱するとえぐみや濁りが出るからで、山根さんとしては、そのお店のスープの製法に納得がいかず論争になり、だったら自分でつくる!となったらしい。「ラーメンにはジャンルがない、ラーメンというジャンル。だからイタリアンの僕がラーメンをつくってもおかしくない」と満面の笑顔。

シェフ、それはいわゆる”ケンカ上等”っていうあれですね? 世の中には「ケンカ上等」とか「売られたケンカは全部買うから」と言う人がいるけれど、物騒な事ではなくて、ただ、負けん気が強いために出てくるセリフ。特に食の仕事の分野では、誰よりも素晴らしい、どこよりもおいしいものを出したいと強く思っている人が多く、また、彼らこそ、早く頭角を現すタイプでもあります。

ちなみに山根さんは、もう一つ新しい業態として焼肉店またはステーキ店も考えているとか。こちらも、あの流行中のカウンターステーキ業態への山根さん流の回答ということになるようで。(僕ならもっとおいしく肉が焼ける!)と思ったのだろうと、想像がつきます。

こんな重大ニュースなのに、蛸のサンダルが最初のスクープだなんて、良いのでしょうか? 蛸の絵を描いてくださったから、まあ良いことにしましょう。

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最初に山根さんは「赤ペンを探しに行きます!」と部屋を出て行って、何種類かの赤いマーカーや文具を持って戻ってきた。臨戦態勢。「赤も微妙な発色がちがう。よし、この赤だな」

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スマホでサンプルを見ながら練習。「これはスタディです。可愛い感じにしたいんだけど、う・・・(笑)、むずかしい・・・」

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思いきって塗りました。蛸サン初のカラーバージョン。まつげの長い、女の子っぽい蛸さん。青いパラソルに緑のスカーフ。
「仮面ライダーみたいやな、ま、ええと」

自分がそんなことをするとは思っていなくても、ふとしたきっかけで挑戦することになれば本気を出してしまうのが、超一流のプロフェッショナル。真っ赤な蛸のイラスト同様に、山根ブランドのラーメン店と焼肉店もきっと新しい、今までにないものになるでしょう。お披露目を楽しみにしております。


著者プロフィール
月刊連載『蛸のサンダル』毎月6日公開
icon_asai浅井 裕子

出版社 柴田書店勤務。外食業担当からキャリアをスタートし、料理技術、宿泊業、製菓製パンなど幅広いジャンルをカバーする食の編集者。パティシエの小山進さんや辻口博啓さんの書籍などを担当。「mook 洋菓子材料図鑑vol.4」編集長、「mook The Coffee Professional」編集長など。趣味はベランダ園芸。今夏はジャガイモとナスを栽培中。