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蛸のサンダル 第21話 クレクレタコカイナ

季節はめぐって春がそこまで来ている。
東京の今日の最高気温20℃という数字が、もはや冬ではないと思わせる。わたしはというと、慌ただしい撮影シーズンに突入している。今年もまたベーカリーブックというベーカリーの専門誌を編むのであります。

ベーカリーは「手に職つける」の言葉通りの職人さんの世界で、異業種から転職してくる方も「手に職つけたくて」と理由をお話になることが多いのです。タイプ的にコーヒーの世界の方と通じるところがあるなあと、わたしは密かに思っているのですが。

でもね、いまベーカリーにもコーヒー屋さんにも共通の脅威が生まれようとしています。ひょっとしたら、どんな業種にも当てはまる未来かもしれない。機械が人の仕事を代替する、という未来。

機械はいまでも食品製造の多くを担っていて、ベーカリーでいえば、手ごねがミキサーになり、手分割が分割器に、室内の温かいところでの自然発酵がホイロやドゥコンディショナーでのコントロールに代わっている。
薪窯がオーブンになったのなんてずいぶんと昔のことで、現代にそれがデッキオーブンからコンベクションオーブンになろうと「伝統が」と言って目くじらを立てることじゃないような気もする。機械を導入することで、仕事はずっと進化してきたのだ。それを使いこなして効率が良くなるなら試せばいいのである。

わたしの仕事でいえば、駆け出しの頃は、原稿を手書きする先輩編集者がほとんどだった。わたしが自前のワープロを会社に持ち込んでフロッピーディスク(しかも2DDだ、もはや化石)で原稿を渡したら、写植屋さんに感謝されたぐらいなのであります。

では、なぜわたしたちは、ふとした瞬間、機械化に脅威を感じるのか?
全自動抽出のコーヒーマシンは長年使っているのに、人を模した最新型接客ロボットがコーヒーを抽出したとたんに、なぜ(オレたちの仕事がなくなるんじゃないか?)と不安を覚えるのだろうか。人口減少による人手不足と機械の進歩のあいだで、激しく揺れ動いてしまう時代なんだろうか? と思うわけです。

生き残るにはクリエイティビティとオリジナリティを研ぎ澄ますしかない!と思っても、それがなかなか努力だけではできるのかできないのか。わたしなんかは旧型なので努力すれば、為せば成る、と闇雲に頑張ってしまいがちなのだけど、やっぱり世の中には天才タイプの方が、少数ながらもいらっしゃいます。今日ご紹介するベーカリーシェフが、そのタイプ。

横浜「ブラフベーカリー」オーナーシェフの栄徳 剛(えいとく・つよし)さん。パン屋の家に生まれ、横浜のホリディ・イン(現ローズホテル)、東京・三宿の「ブーランジェリー ラ・テール」などを経て2010年に独立開業。元町商店街から山手に向かう代官坂という急坂の途中にあって、坂に車の行列ができる人気で話題となり、一躍全国的なスターシェフに仲間入りしている。

鮮やかなブルーが基調のスタイリッシュな店舗。コンセプトは、ニューヨークスタイル、アメリカスタイルと呼ばれる。たしかにベーグルがあったり、大ぶりなパン自体もアメリカンと言えなくもないが、食べてみると「あれ、そんなふうにカテゴリーに分けていいのかしら」と思わせる。デッサンのごとく描いたフォルムに独特な食感、華やかな香りと繊細なうまみを閉じ込めた栄徳さんのパンは、なになに風と呼ぶのを躊躇わせるだけの、オリジナリティを放っている。

開業当初はシエスタと称した営業中の昼休みタイムを設けていたことも有名で、「あれでだいぶ高飛車に思われちゃった」と反省する栄徳さんは、ただ必要だと思って挑戦してみただけ。天才(天然?)ならではの突き抜けたトライ&エラーがふつうにできる方なのであります。

昨年、本店に次いでビジネス街での販売拠点となる日体大通り店を、また少し離れて自宅兼となる建物一階にベイクカフェをオープン。ベイクカフェはパンでなくパティシエールの奥さまによる焼き菓子を中心に、オリジナルコーヒーを提供。最新のアンダーカウンター式のエスプレッソマシン(カウンターから抽出部分が出ていて機械本体は下に隠れている)を設置。ベーカリーではめずらしい超小型クラフトビールサーバーも導入しています。計画段階では、ビールも自前で製造したいと考えていらっしゃったとか。チャレンジフルなお店なのです。名称は「アンダーブラフコーヒー」。本店のある坂(=崖、ブラフ)を下ったエリアにあることから名づけられています。

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アンダーブラフコーヒー前のベンチで、蛸サンイラストを描いてもらいました。「ついに来たッ」と笑いながら描き始める栄徳さん。

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「はい、クレクレタコラ」え? クレクレタコ?ラ? クレクレタコカイナ? ちがうちがう、それはチュウチュウタコカイナ。クレクレタコラは栄徳さんがこどもの頃によく観ていたテレビ番組で、タコの人形が繰り広げるクレイジーな不条理劇。何でも欲しがるクレクレタコラがあれもこれもクレクレと言って歩き、何としても手に入れるが、その報いを必ず受けるという展開になっている。「Let’s Cre2‼︎(二乗)」のセリフが画面にこだましています。

これは、、、んー。
あちこちで、蛸サンイラストを描いてと言って歩いているとバチが当たるんだろうか? いや、優しい栄徳さんがそんなつもりで描くはずがない。後日、わたしはYouTube動画でクレクレタコラの番組を確認した。

欲望のままに欲しがるクレクレタコラは現代でも不気味で、未来への風刺のようにも見える。もしも、人間が進歩ばかりを求めたら、機械が、AIが、人間を凌駕するのではないかという漠然とした不安は、クレクレタコラを不気味と思う感覚にちょっと近い気もする。

いつかコラムもロボットが書くようになるんだろうか? そんな時代が来る前に、書けることに感謝して、たくさん書いておかないとね。


著者プロフィール
月刊連載『蛸のサンダル』毎月6日公開
icon_asai浅井 裕子

出版社 柴田書店勤務。外食業担当からキャリアをスタートし、料理技術、宿泊業、製菓製パンなど幅広いジャンルをカバーする食の編集者。パティシエの小山進さんや辻口博啓さんの書籍などを担当。「mook 洋菓子材料図鑑vol.4」編集長、「mook The Coffee Professional」編集長など。趣味はベランダ園芸。今夏はジャガイモとナスを栽培中。