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フィル・ライノット その3

(つづき)
墓地を出ると後ろからバスがやってきた。行先には市の中心部を意味する「An Lár」の文字が見えたので、迷わず目の前のバス停から飛び乗った。バスの中である思いがよぎる、「そう遠くない未来、またここに帰ってきたい。」帰国後、私は内定をいただいていた会社を訪問し、内定の辞退させていただいた。そしてその年から数年の間に一度の長期滞在を含め何度もアイルランドを訪れ各地を回った。

1997年1月4日、フィルの死後彼の命日に毎年行われている「Vibe For Philo」というトリビュートバンドによるコンサート会場でのこと、フィル・ライノットの母、フェロメナ・ライノット(フィリス)がステージでの挨拶を終え会場を後にする間際、私たちを見つけると、
「あなた達はどこから来たの??明日私の家においでなさい。」と言うと、隣のSP風の男性になにやら話をしている。
男性は少し困った顔をしながら、電話番号を書いたメモを渡してくれた。
翌日電話をかけると、例の男性が、前日と違う明るく優しい声で、家への道順を教えてくれた。
フィリスの家がフィルのお墓とそう離れていないことを知り、待ち合わせした時間より少し前にお墓参りに向かうと、ちょうどフィリスも、お墓にお参りに来ていた。
「あら昨日の人たちね。この人はグラハムよ」と言うと
フィリスはこんな話をしてくれた。
息子が死んだことは本当に悲しくて、毎年クリスマスが来ると息子が病院に担ぎ込まれた日のことを思い出すわ。彼が死んでから、毎日毎日お墓参りに来ては、こうやって何度も何度もお墓を蹴ってこういうの「私よりも先に死んで、この親不孝ものが!!」って。でも何年もたって最近は彼の熱心なファン達があなた達みたいにお墓参りに来てくれるの。きっと彼がロックスターのままだったら、私は多くのファン達を家に招きいれて、紅茶を飲みながらフィルの話をすることもなかったのかもしれないわね。きっと息子が与えてくれた私への最後のプレゼント、そう思うようになったわ。

数年後、結婚の報告をした私たち夫婦のもとに、フィリスから小包が届いた。
開けてみると綺麗に額装されたフィル・ライノットの写真にフィリスのサインが入っていた。
アイルランドから届いた、愛のたくさん詰まった我が家の宝物である。

cof

 


著者プロフィール
月刊連載『パイント・オブ・ギネス プリーズ!』毎月8日公開
icon_naga長濱武明(音響空間デザイナー・アイルランド音楽演奏家)

1992年に初めて訪れたアイルランドでアイルランド音楽と特有の打楽器であるバウロンに魅了され、以来十数回の渡愛の中で伝統音楽を学び、建築設計の実務も経験する。現在は音響空間デザイナーとしての業務をこなしながら、国内におけるバウロンプレーヤーの第一人者として国内外で演奏活動をする他、プロデューサーとしてコンサートやワークショップを主催している。
バウロン情報サイト バウロニズム https://www.facebook.com/Bodhranizm