title_nagahama

ケルトと二人の恩師

日本で「ケルト」という言葉が一般に認知され始めたのは、1986年イギリスBBCが制作したドキュメンタリー”The Celts”という番組を、翌年NHKが放送したあたりからだといわれており、1990年代前半には沢山の学術書が出版され、さらに認知が広まった。ちょうどその頃、私もアイルランドに興味を持って以来「ケルト」について色々な文献を読んでいた。なかでも鶴岡真弓先生の「ケルト装飾的思考」は自分にとってまさにバイブルであった。
初渡愛(アイルランド)の一か月程前、大学で陣内秀信教授に卒業研究として「アイルランドの建築デザインフィールド調査」をする計画を報告すると、
「ケルトか!!それならこないだも研究会で一緒だった鶴岡先生だな」
と言い、早速鶴岡先生に連絡をとっていただいた。当時の記憶が定かではないが確か葉書だったと思う。
一週間後の偶然にも鶴岡先生の講演会があり、講演後挨拶だけさせていただいた。

ひと月が過ぎ、渡愛。アイルランド ダブリンの滞在も数日がすぎ、卒業研究の調査も少しペースをつかみかけていたころ、ダブリンのトリニティカレッジの門の前で、偶然鶴岡先生とすれ違った。私が「鶴岡先生」と声をかけると、「先日東京で会った陣内さんのところの学生さんね。この後はミーティングがあるのですが、そのあと少し時間があるので、情報交換しませんか?16時にこの先を右に曲がって教会の前にある、オニールズというパブで。」というと校舎の中に入っていった。
オニールズでは、私の拙いフィールドサーベイの話を熱心に聞いていただき、沢山の指導をいただいた。そして翌日、先生がダブリンで定宿としているという、ご友人ケイコ・ブロフィーさんの家の夕飯に招待していただいた。
思えば、アイルランドにかかわる不思議な連鎖はこの時すでに始まったいたのかもしれない。

先日、恩師である陣内秀信教授の退官記念最終講義の会場でのこと、千人以上集まったホールで偶然にも鶴岡先生と再開した。きっと偶然ではないのかもしれない、そう思わせるところが、いかにもケルト的であった。


※写真:鶴岡先生よりいただいた新刊本。先生の長く幅の広いケルト研究の歴史を垣間見ることができる。

 


著者プロフィール
月刊連載『パイント・オブ・ギネス プリーズ!』毎月8日公開
icon_naga長濱武明(音響空間デザイナー・アイルランド音楽演奏家)

1992年に初めて訪れたアイルランドでアイルランド音楽と特有の打楽器であるバウロンに魅了され、以来十数回の渡愛の中で伝統音楽を学び、建築設計の実務も経験する。現在は音響空間デザイナーとしての業務をこなしながら、国内におけるバウロンプレーヤーの第一人者として国内外で演奏活動をする他、プロデューサーとしてコンサートやワークショップを主催している。
バウロン情報サイト バウロニズム https://www.facebook.com/Bodhranizm