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北の詩集に -山川精『哈爾濱難民物語』『届かぬ聲』-

 ごくゆっくりとアイヌ関係の書籍を集めてきた。
 きっかけは新谷行の『増補アイヌ民族抵抗史』(77 三一書房)と知里幸惠の編訳『アイヌ神謡集』(78 岩波書店)だった。後者の原本は関東大震災のあった1923年に出たが、78年に岩波文庫に収められた。文庫は帯の色で種別が示されるが、この本の帯は日本文学の緑ではなく、外国文学の赤帯。日本語に隣接する独自の異言語が紡ぎ出した、祖先伝来の詩文集。左頁にローマ字表記のアイヌ語、右には日本語訳が横書きで並ぶ。
 私も最初の長篇を書き終えたあとの97年秋から、白水社のエクスプレスシリーズで出たばかりの『アイヌ語』(中川裕/中本ムツ子)を入手、独習した。でも、遠く離れた関西では定着もせず、その後アイヌ語の文章を読み続ける努力も怠ったので、ささやかな努力もすぐに風化する。それでも創作の現場で、アイヌの人びととその連綿たる文化の継承はつねに意識してきた。去年は「知里真志保著作集」(平凡社)から、樺太アイヌに関して学ぶことが多かった。
 しかし少数民族にして先住民のアイヌは過去の遺産ではない。この現代を生きている。それを否定しようとする主張に抗し、2015年には『アイヌ民族否定論に抗する』(岡和田晃/マーク・ウィンチエスター編 河出書房新社)が出版された。池澤夏樹や今は亡き津島佑子など、かれらへの思いを絶やさぬ日本語作家もいる。
 近頃では古書にも目を向ける。昨年は『明日に向って アイヌの人びとは訴える』(1972
郷内満/若林勝編 牧書店)を読み、前半に記録された三世代にわたるアイヌの人びとの苦悩の告白に改めて胸を抉られた。いちばん下は私と同世代で、まだ中高生だった。
 そういう書籍調べの中で、もっと早くに知遇を得て然るべき札幌の古書店にようやく巡り合えた。サッポロ堂書店。導きは北海道沙流郡平取町二風谷の自治会編纂による記録書『二風谷』(非売品)を探し求めたことだった。すぐに購入し、店との付き合いも始まった。そのカタログ冊子で見つけ、今年初めに買い入れたのが北海道の詩人山口精の2つの詩集だ。最初の『哈爾濱難民物語』は86年に北海道新聞文学賞を受けている。
 ただし、アイヌを描いたものではない。自らが少年時に「難民」として体験し、敗戦直後の旧満州で生死の境をさまよった追憶の叙事詩と呼ぶべきだろう。移民と難民、immigrant/ emigrantと refugee、横文字で言うと全く異なる語形ながら、日本語ではよく似ているのでしっかりと区別できない方もいらっしゃる。作品は開拓移民(emigrant)として移り住んだ日本人の少年が敗戦とともに難民(refugee)となり、物乞いもして流浪する姿を回想し鋭利な詩文に結実させる。ここには『届かぬ聲』(95)のあとがきから一節を紹介する。
「国策という美名で飾り立てた戦争は、非業の死者から糾弾の言葉を奪い取りましたが、これらの誰一人として、忘れ去られる為に死んだ者はいない筈です。いま私が恐れているのは、自分の記憶が薄れ、そして歪んでいくことに歯止めの効かないことです。」
 「東西」の壁からおよそ30年を経て、半島の「南北」にも歴史的な流動が生じる。でも、分け隔てる壁はまだまだ世界の各地に数え切れぬばかりに残される。壁は言葉の拒絶でもある。異言語が通じないのではなく、相手のコトバの所在と尊厳を決して認めようとしない頑迷の中で、無数の壁が維持されていく。

 『哈爾濱難民物語』 1987 サッポロ堂書店
 『届かぬ聲』 1995 北海文学同人会

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著者プロフィール

mensuel『一路多彩 -pluralité unique-』毎月10日公開
nina蜷川泰司(にながわやすし)

文芸作家。1954年京都市に生まれる。
長篇『空の瞳』(現代企画室)で2003年にデビュー。かたわら今日まで、通信誌やホームページに数多くのコラムや論評を執筆
『子どもと話す 文学ってなに?』(2008 現代企画室)
『新たなる死』(2013 河出書房新社 作品集冒頭の「コワッパ」はル・プチメック今出川店に取材する)
『迷宮の飛翔』(2015) 『スピノザの秋』(2017 いずれも河出書房新社)
この2点は長篇の連作『ユウラシヤ』のプロローグと第1部にあたる。
次回作品『ゲットーの森』(仮題)は2019年に刊行の予定。