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二十八杯目 僕が紫陽花を好きなわけ

僕の実家の裏庭には、大きな紫陽花の木がある。勝手口を通るとき邪魔だけど、たくさん花をつけてくれるこれからの季節は楽しみだ。

紫陽花は好きだけど、花言葉は好きじゃない。色が変化するから「浮気・移り気」だなんて、紫陽花に失礼だ。

紫陽花を好きになったのは、カシニョールという画家を知ってから。彼は、美しいフランス人女性を描き続けている。

彼の描く女性はいつも、豪華なドレスを着て、広い庭や海辺で、静かに誰かを待っている。その周りには今が盛りのバラや紫陽花が描かれていて、とても美しく、とても寂しい。

若き日の黒柳徹子さんは、たまたま入ったカシニョール展で、初来日中だった彼に見初められ、モデルになったことがあるらしい。以来二人は親友だそうだ。そういえば、あの玉ねぎ頭は紫陽花に見えなくもない。

「あら、素敵な紫陽花ね」小学校の門をくぐったところで、話したことのない先生に声をかけられた。僕の手から花束を奪うと、「先生にも分けてちょうだい」と言って、5本のうち2本を抜いて、嬉しそうに立ち去った。母が持たせてくれた紫陽花が、急に貧相に見えた。

給食の時間、担任に「先生に分けてあげたんだってね。すごく喜んでたよ」と言われたけど、ずっと黙っていた。あげたんじゃない。とられたんだ。

一週間ほど前のこと。カフェで寝ていた若いサラリーマンの携帯が鳴った。「忙しいんだけど、なに? ……好きな花とか知らねえよ。なんでもいいよ。紫陽花? うん、じゃあそれで」午睡の邪魔をされた彼は、とても不機嫌そうだった。

おそらく、彼の奥さんからの電話で、母の日のプレゼントの相談だったのだろう。てきとうに選ばれた紫陽花を、母親はとても喜ぶのだろう。

あるとき帰省すると、玄関にたくさんの紫陽花が飾られていた。紫陽花なんてめずらしいねと言うと、「あなたが昔、買ってくれた紫陽花よ」と母は微笑んだ。

高校二年のとき、学校帰りに立ち寄った小さな花屋で、紫陽花を買ったことがある。2000円の小さな鉢植えだった。すっかり忘れていたけど、裏庭でひっそり成長していたようだ。

あの紫陽花は、僕があげたものだったのか。びっくりすると同時に、母親ってすごいなと思った。急に照れくさくなって、紫陽花を見るふりして、僕は母から目をそらした。


著者プロフィール

月刊連載『外苑前マスターのひとりごと。』毎月15日公開
icon_saeki佐伯 貴史(さえき たかふみ)

BARトースト』のマスター
コーヒー会社で営業を経験後、雑誌の編集に興味を持ち『R25』『ケトル』等の媒体に携わる。歌と本と旅と人が好き。餃子は酢とコショウで食べるのが好き。