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スリランカの旅 3.

前回、最後に書いた「紅茶の父」のお話です。
セイロンティーといえば、紅茶の歴史に欠かせないお二人がいます。

サー・トーマスリプトンとジェームス・テーラー。

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この二人を知らずしてセイロンのお茶を語れません。というのは、お茶関係の人でもジェームス・テーラーを知る人はかなりのお茶好き。反対にセイロンティーは知らなくても世界中で飲まれているイエローラベル、リプトンティー。
どこの産地かを知らずとも多くの方々がいろんなところで見たり飲んだりしてるご存知グローバルブランドのティーバッグ。
黄色い缶入りのリーフティーもあるのに、今ではほとんど黄色いタグのぶら下がってるティーバッグが世界中のカフェで使われています。

まず、聞いたこともないセイロン紅茶の父、又は紅茶の神様と呼ばれるジェームス・テーラーのお話をしましょう。
このセイロン島では胡椒やシナモン、クローブなどが取れることからポルトガルが支配します。その後、オランダが乗り込みポルトガルを追い出しました。
オランダは、ロンドンなどで人気が出始めたコーヒーをこの島で栽培するために島のジャングルを切り開き、コーヒー園を作りました。その後、イギリスがこの島を植民地にし、コーヒーを本国に送り込んだことでロンドンの街にはコーヒーハウスがたくさんできて男性の社交場となった時代です。

イギリスに対し土地も豊かでないスコットランドの人たちは、富を築くためにみんなでコーヒーラッシュのセイロンへやって来ました。その帆船に乗り込んだ中にスコットランドの貧しい片田舎の少年もいました。こうしてコーヒー園で働きはじめたのが、16歳のジェームス・テーラーです。
南インドのタミール人を労働者として雇い、森を切り開き、コーヒーの種を蒔いてコーヒー園を作っていきます。ところが全盛期にコーヒー豆がさび病になってしまいコーヒーの島だったセイロン島は全滅をしてしまいます。
その少し前、インドからお茶の種がセイロンの植物園に運ばれていました。コーヒーが全滅した後、いろんなものを上手に栽培するジェームス・テーラーは実験的にお茶を栽培していたこともあり育て方を知っていたので、お茶の木を植える指導をし、セイロン島はお茶の島になりました。
この功績により、彼のことを「紅茶の父」「セイロン紅茶の神様」と呼ぶようになりました。

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私が初めて行った頃には、彼が暮らし、実験をしていた場所にはまだ色んな記念の物があったのですが、キャンディの町に紅茶博物館ができてからは、そちらに運ばれました。紅茶を勉強している人たちは、100年記念の時に出版された本でこれまで知られていなかったジェームスのことを知り、彼が最初に作った茶畑、『 ルーラコンデラ 』に行くようになりました。
とても岩の多い山岳地帯にあり、この大きな岩を開拓して茶畑を作るというのはかなりの労働で、今の技術でも大変なのに1860年代にタミールの労働者200人を管理し、この茶園作りを成功させたそうです。32歳で紅茶栽培はじめ、57歳で亡くなる最期まで独身のまま故郷にも帰らずセイロンで骨を埋めた人です。茶園の後に石の椅子があります。そこから広がる景色が故郷スコットランドの方向で、ここへ座って偲んでいたと言われています。
彼が16歳の時に持ってきた可愛い陶器のお皿が今も博物館には陳列されています。このお皿は、40年間のセイロン島での生活で使っていたようです。
これまで何度も訪れたキャンディの町では仏歯寺に必ず行っていましたが、2013年に行った時、彼のお墓があると聞きみんなでお参りに行きました。

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世界中で英語を話す人が多いのもまず言葉を教え、植民地の人たちを指導していったイギリス人の開拓魂があり、そこにはスコットランドの魂が大きく貢献していると思いました。
余談ですが、映画「風とともに去りぬ」に見るアイルランド魂も凄い。UKの連合国の良し悪しは別として、世界を植民地にもしたけれど開拓もした。そして、紅茶という飲み物を世界中に広げたイギリス。

今私たちが飲んでいる大英帝国のお茶は、コーヒーと二大飲料であり、このジェームス・テーラーのことを外してスリランカ紅茶は語れません。
今回は長い歴史の話になりましたが、紅茶の旅はイギリス人の軌跡を歩くものなので外せません。 あと一人、偉大な紅茶王のことを次回お話ししたいと思います。


著者プロフィール

『メランジェ的世界の歩き方』毎月21日公開
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松宮 美惠 (まつみや よしえ)

200種類のお茶とお茶まわりのグッズを扱う「ラ・メランジェ」のオーナー。
ラ・メランジェは1988年に京都・北山にオープンし、92年からは同じ北山に店を移転拡張し、2005年9月烏丸二条に移転。2015年5月で対面販売 小売店店舗をクローズ。今後お茶を扱う専門家、飲食関連のサービス、お茶を教える専門家などに今までの経験を生かし指導をしていくことを新しいジャンルとして設ける。ものを売るというよりも、お茶とお菓子ですごす時間や空間、そこから生まれるコミュニケーションが大切だと考え、これを提案したいというのが基本的なコンセプト。このためお茶と食、またそれにまつわる文化に強い関心を持ち、1990年からヨーロッパを中心に海外に頻繁に旅し、情報を常に吸収し、ノウハウを蓄積しているのが強み。最近では、特に中国へ赴くことも多く、中国茶と茶器の品揃えも強化。現在、かの地の文化を修得しつつある。お茶については、海外からはお茶を直接輸入し卸しも行なうが、国内・国外のお茶とも、すべて自らテイスティングし、セレクトしたものを扱う方針。お茶のコーディネイトの仕事も多数。