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ベーリングの熊さん

 先月よりもっと遠い北に向う。出発点は北海道より少し南の「イーハトヴ」、だから列車は「銀河鉄道」だろうか・・・・このコラムの入口を飾る一面の濃紺、『新修宮沢賢治全集』(筑摩書房)の表紙だ。折々彼の作品についても記していこう。今回は「氷河鼠の毛皮」。その冒頭の4行。

「このおはなしは、ずいぶん北の方の寒いところからきれぎれに風に飛ばされてきたのです。」

 北風に運ばれてきたいくつかの断片。拾い集めたのが賢治だとすれば、書いたのは誰か?
一人か、複数か。人間か、それとも・・・・さらに続けて、

「十二月の二十六日の夜八時ベーリング行の列車に乗ってイーハトヴを発った人たちが、どんな眼にあったかきっとどなたも知りたいでせう。これはそのおはなしです。」

 ×印だけの1行を置いて、いよいよ始まり、始まり、それをごくごく簡単にたどると、

① イーハトヴの吹雪の夜、定刻に駅を発つ蒸気機関車、「最大急行」、行き先はベーリング。カムチャツカ半島の東に広がる海の名前だが、ここは架空の町を指すようだ。

② 舞台の車両に15人ほどの乗客、主な登場人物が紹介される。「顔の赤い肥った紳士」が狩猟の鉄砲を磨く。『一千一秒物語』にも見えたが、銃器の立ち位置が戦後とは異なって見える。

③ 吹雪を抜けると、鉄色の夜空に青い月が浮かぶ。船乗りの青年が凍える車窓にできた氷をナイフで削り取る。肥った紳士はイーハトヴのタイチと名のり、役人風の男を相手に自分の着こむ毛皮について得々と語る。中でも自慢の逸品は氷河鼠の頸の毛皮ばかり450匹分で作られている。ベーリングに着いたら猟をして、黒狐の毛皮を900枚せしめんと豪語し、ウィスキーを飲む。よく見ると、車内の片隅には「痩せた赤髯の男」がいて、みんなの話に耳を澄ます。

④ 酔いが回るとタイチは、他の乗客の毛皮にいちゃもんを付け、諍いになるは、例の青年に防寒不足だとお節介を言うは。若者は取り合わず、窓外を眺める。月下を走る真っ白な蛋白石のような雲、オリオン座近くの鋼色の空。徐々に眠りにつく乗客たち。その中にあって例の「痩せた赤髯の男」だけが聞き耳を立てながら、鉛筆を走らせる。彼は作家なのか。そこに紅茶のカップを銀の盆に載せて、車内販売のボーイが入ってくる。タイチが所望すると、照明が赤黒く転じ、窓は月の明かりで螺鈿のように青光る。蕭然たる乗客の顔、顔。窓の向こうに妖しい火が見える。と、電燈はまた戻り、ボーイは紅茶とともに車両を移る。そして一節はこう結ばれた。

「これが多分風の飛ばしてよこした切れ切れの報告の第五番目にあたるのだろうと思ひます。」・・・・ということは、冒頭のあの4行も風に飛ばされてきた断片だったことがここで確認される。

⑥ そして翌朝、まだベーリングには着いていないのに停車する。朝日の射す東側は白く眩く、西側は鈍い鉛色に沈む。扉が上がると、陽の光はビールの泡のように流れ込む。するとあの「痩せた赤髯」がピストルを手に物凄い形相で外から乗り込んでくる。それに続く20人ばかり、正体は見えないが、白熊か雪狐の毛皮に身を包み(というか衣服ではないのかもしれない)ピストルを構え、車内を制圧。まずは眠るタイチに目を付けた。赤髯のいわく、

『こいつがイーハトヴのタイチだ。ふらちなやつだ。イーハトヴの冬の着物の上にねラッコ裏の内外套と海狸の中外套と黒狐裏表の外外套を着ようといふんだ。おまけにパテント外套と氷河鼠の頸のとこの毛皮だけでこさへた上着も着ようといふやつだ。これから黒狐の毛皮九百枚とるとぬかすんだ、叩き起せ。』(原文ママ)

 さてさてこのタイチの運命やいかん。ご承知でない方は原作にてぜひご確認を。ちなみに乗り込んできたこの20人ばかりは熊のようだ。おそらくは白熊。でも、近ごろ日本列島では、色の違う熊がちょくちょく人間の住まう「車内」に入って来る。
 熊が象徴するものは何か。先祖伝来の生存の場を脅かされる「先住民」たちの化身。あるいは、乗客にはなぜか男しか描かれない。入って来たのは、いつも「車内」への入場を拒まれてきた女たちかもしれない・・Me Too・・Moi Aussi・・それではまた。

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鉄路の右手はオホーツク
(1990年代に著者撮影)

著者プロフィール

mensuel『一路多彩 -pluralité unique-』毎月10日公開
nina蜷川泰司(にながわやすし)

文芸作家。1954年京都市に生まれる。
長篇『空の瞳』(現代企画室)で2003年にデビュー。かたわら今日まで、通信誌やホームページに数多くのコラムや論評を執筆
『子どもと話す 文学ってなに?』(2008 現代企画室)
『新たなる死』(2013 河出書房新社 作品集冒頭の「コワッパ」はル・プチメック今出川店に取材する)
『迷宮の飛翔』(2015) 『スピノザの秋』(2017 いずれも河出書房新社)
この2点は長篇の連作『ユウラシヤ』のプロローグと第1部にあたる。
次回作品『ゲットーの森』(仮題)は2019年に刊行の予定。