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蛸のサンダル 第24話 独立

 近況報告の続報から。5月31日に担当した『ベーカリーブック vol.11』が発売となりました。6月5日には同時並行で少し携わっていた『カフェ−スイーツ』も発売。謎の蕁麻疹問題も小康状態となり、やっと人心地ついて、仕事クレージーな半年間を反省し、そろそろ健康第一な人生を送らないとなあ、と思っているところ。

 いまやすっかり「パンの人」「お菓子の人」「コーヒーの人」と目されているわたしだが、以前はバリバリの「レストランの人」だったことは、これまでのお話にも少し書いた。まあ、あの、本当を言えば「編集の人」なわけなのだが、みんなの身内感覚がうれしくてたまらないので、いつも敢えて訂正しないのであります。

 レストランの人だった頃、わたしは自分が新しく立ち上げた「ダイニング」というムックで、迫ってみたかった大きなテーマがいくつかある。その一つが「サービス」。レストランにおいて、おそらく他の業種でも、接客次第で客単価も滞在時間も満足度も、リピート率も変わってくる。何年も飲食業を見てきてそれを痛感していたから、サービスマンの「技術」の真髄を解き明かしたくて、いろいろと企画を練った。いまから考えるとそのテーマで雑誌の収益を成立させるのは難しいと言うことは明白なのだけど、何しろ、新しいことがしたかった。冒険心でいっぱいで、こんないいテーマに広告を出さないほうがおかしいとさえ思い込んでいたのだ(単に技量がなかったのかもしれない)。

 その中で、ヒット企画が出た。飛ぶ鳥を落とす勢いだった成長企業グローバルダイニングCOO(当時)の新川義弘さんに、「サービスマン日記」のタイトルでコラムを書いてもらうことに成功したのだ。来日した米大統領にサービスした男として、サービスマンの世界で一目おかれている人物だった。”サービスの神様”のキャッチフレーズをつけ、笑いあり涙あり、サービスを”臨機応変”ではなく”技術”として語る初めての内容で、熱心なファンを得た。その内容については新川さんのご著書(残念ながら小社ではない)に詳しいので、参照していただけたらと思う。

 無形のものに、人はお金を払いたがらない。モノづくりはみんな大好きだけど、ヒト(技術・経験)・コト(体験・空間・時間)とちゃんと向かい合っているのかなと、思う。レストランの価値は「料理/食材原価」だけではないと、わたしはいまでも信じているのであります。思えば「編集」も無形だから、なおのことそう思うのかもしれません。

 連載からほどなくして、ある日のこと。わたしは大阪に出張していた。携帯電話(まだスマホは登場していない)が鳴り、新川さんからだった。いつになく緊張した声で、新川さんが言った。
「アサイさん・・・、僕、会社を辞めます。独立します。アサイさんがサービスマン日記で僕を世に出してくれたから、決心できました」
え?ええーーーーっ?! 待って待って、わたしいま大阪なの、そんな大事なこと、東京に帰ったら聞きますから!と慌てるわたしに、新川さんは「いえ、もう決めたんです。いまから耕造さんに言ってきます」えーーー、と言っている間に電話が切れた。

 グローバルダイニング創業社長の長谷川耕造さんは、新川さんのサービスの才能を見出し、片腕に育て上げ、二人三脚で会社を成長させてきた。新川さんを失う痛手が長谷川さんにとってどれほどのことか想像すると、居ても立ってもいられなかったし、それが自分が招いた運命なのだと思うと、責任の重さを痛感するのだった。長谷川さん、ごめんなさぁぁぁい。大阪の空を見上げて、わたしは謝った。

 辞めます、と言った新川さんに、長谷川さんは「新ちゃん、嘘だろ?冗談だよな?」と言ったそうだ。その後、二人は男泣きに泣きながら別れ、新川さんはグローバルを去った。
その晩、際コーポレーションの中島武社長から、大阪にまだいるわたしに電話がかかった。パーティで久しぶりに長谷川さんに会ったと言う。選りに選ってなぜ今日?と思って黙っていると「様子が変なんだ、失いたくないものを失ってしまった、とか言って」と言う。百戦錬磨の中島社長はピンときて「新川さんが辞めたんでしょ?」と聞いたそうだ。驚いて、そうですと言う長谷川さんに「長谷川さん、おれたち経営者は、いつでも独りだよな」と慰めた。その話を聞いて、わたしは大阪でさらに眠れない夜を過ごしてしまったのでした。

 新川さんは独立してHUGEを起業。銀座のきらびやかなレストラン「ダズル」やスパニッシュイタリアンのにぎやかな「リゴレット」など、情熱的なサービスを体験できるいいお店をつくり続けている。
今月は、新川さんと、蛸のイラストを紹介します。ハワイで新店舗を準備中とのことで、ハワイから画像を送ってもらいました。蛸サン初、リモートお願い。お忙しいところ、ありがとうございます。
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 「絵心は、ないんですよ・・・」と言いながら、堂々とした描きっぷりの新川画伯。お客様をわくわくさせる動線や色彩のレストランをつくる人だから、描けると思ってました。

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「タコのアヒージョ!アヒージョの器がサンダルなの」メニュー開発か(笑)。どこまでもレストラン野郎で、超ナイス。

 新川さんのすごい技術だとか、繁盛レストランづくりの秘密だとか、書きたいことはたくさんあるのだけど、長くなりすぎてしまうから、今月はこのへんで。

そうそう、最後にひとつだけ。
HUGEの創業10周年パーティには長谷川さんもスピーチに登壇、若き日の新川さんのエピソードを語り、才能を褒め讃えたあとで「でもね・・・、俺が見つけた」と笑って新川さんを見つめた。二人の関係もいまではこの通りなので、ずっとハラハラしていたわたしも、やっと事の顛末を書くことができるのでありました。


著者プロフィール
月刊連載『蛸のサンダル』毎月6日公開
icon_asai浅井 裕子

出版社 柴田書店勤務。外食業担当からキャリアをスタートし、料理技術、宿泊業、製菓製パンなど幅広いジャンルをカバーする食の編集者。パティシエの小山進さんや辻口博啓さんの書籍などを担当。「mook 洋菓子材料図鑑vol.4」編集長、「mook The Coffee Professional」編集長など。趣味はベランダ園芸。今夏はジャガイモとナスを栽培中。