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二十九杯目 僕の育った小さな町。

ゲリラ豪雨、猛暑、台風、大雪、地震……そんなニュースを耳にするたび、日本は本当に暮らしやすい国なのだろうかと思ってしまう。

僕の地元が、ストレスオフ県ランキングで二年連続1位になった。同県出身者なら、やっぱりなと思うんじゃないだろうか。

「佐伯は午前中の授業出なくていいから、絵を描いてこい」

写生大会で描いた絵が、生徒代表として学校の正面玄関に飾られた。2両しかないローカル線の、車輪だけを描いた絵。

「お前の絵をコンクールに出すことになったから、もう一枚同じ絵を描いてこい。絵を観ながらやったら、同じのが描けるやろ。午前中で仕上げて戻ってくるんだぞ」

よくわからなかった。でも、10歳の僕は、先生に自分の意思を伝えることはできなかった。大人の言うことは正しく、先生の言うことは絶対だと思ってた。

この子はなんでここで絵を描いているんだろう。休み時間の生徒たちの視線が恥ずかしかった。通りかかった教頭先生は、不思議そうな顔をしただけで、声もかけてくれなかった。

「なんで全体のバランスを考えないんだ。車体が入ってないじゃないか」。にやにやしながら声をかけてきたのは、僕の嫌いな先生だった。

なんの感動もない、つまらない絵に仕上がった。ふーん。とひと言だけ感想を言われたそれは、もちろん入賞なんてすることなく、僕の記憶に嫌なシミだけを残した。

「女(おなご)の歌なんてやめなさい。男の子がそんなん唄うもんじゃないよ。男の子が女(おなご)の歌を唄っても、上手には唄えんのよ」

ある日、従姉妹と歌を唄っていると、おばあちゃんに叱られた。喜んでもらいたくて、おばあちゃんの好きな歌手の歌を唄ってみたけれど、ちょっと嫌な顔をされた。

それはとても悲しくて、痛いことだった。親にも姉にも言えなくて、それからしばらくおばあちゃんを避けるようになった。そして僕は、好きな歌を唄えなくなった。

高い声を出すのが恥ずかしくて、歌のテストでわざと下手に唄ったこともある。音楽の先生には褒められたけど、なぐさめにしか聞こえなかった。

個性の埋もれる都会はほっとする。もしいま僕が、昼間に地元で散歩してたら、すぐに近所の噂になるだろう。

でも、いい町だなと思う。普通に生活するなら、ストレスのない穏やかな町のはずだから。僕がはみ出してしまっただけなんだ。

おばあちゃんが言いたかったことも、いまならわかる。もっと男らしく育ってほしかったのだろう。結局、そうはならなかったけど。

自慢の地元だけど、地元に愛される自信はない。

中学のときから、僕はこっそり漫画を描いている。そのとき思いついたことや、気になっていることを、体力が続く限り描くだけなので、たいていの話は途中で終わっている。

誰かに見せるつもりもないから、誰かに評価されることもない。僕が死んだら、勝手に燃えて無くなってくれないかなと思っている。

温泉とみかんとお城が自慢の、瀬戸内海の小さな町。そんなところで、僕は育った。


著者プロフィール

月刊連載『外苑前マスターのひとりごと。』毎月15日公開
icon_saeki佐伯 貴史(さえき たかふみ)

BARトースト』のマスター
コーヒー会社で営業を経験後、雑誌の編集に興味を持ち『R25』『ケトル』等の媒体に携わる。歌と本と旅と人が好き。餃子は酢とコショウで食べるのが好き。