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スリランカの旅 4. 最終回

スリランカ紅茶の歴史に欠かせないもう一人、トーマス・リプトン。
正しくは、トーマス・J・リプトン卿。ヴィクトリア時代の大英帝国において紅茶を庶民の日常的な飲み物として普及させた第一人者であり、熱帯の小さな島であったセイロン島の紅茶を世界中に広げた功労者でもあります。

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私が学生だったころ京都には有名な喫茶・レストラン の『リプトン』があり、まだマクドナルドがなかった学生時代はリプトンのお子様ランチやイチゴのサンデーを食べるのが私達の憧れでした。このリプトンは特別なお店で、京都だけにありました。
そこにあるものは黄色に赤い文字の紅茶缶と、パステルグリーンにグリーン文字の紅茶缶が並んでいました。大人になる頃にはいろんな色の缶にダージリン 、アッサム、オレンジペコなど産地別の缶が並ぶようになり、ちょっと背伸びして紅茶を飲みに行ったものです。
黄色い缶に入ったものは私にとって初めての紅茶で、その頃は「リプトン」が人の名前だとは知りもしなかったぐらいの知識でした。

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1850年にスコットランド、グラスゴーで生まれ、10歳の頃には家業の食料品店を手伝っていたほど勤勉な少年だったそうです。彼はいろんな仕事をしてコツコツ貯めたお金で、15歳にもならない時にニューヨークへ夢の第一歩を踏み出します。
グラスゴーから船でニューヨークへ向かった彼は色々な商法を学び、19歳の時にグラスゴーへ帰って来ました。21歳で食料品の店、リプトン第一号店を開いたそうです。
ブレンドの専門家を雇い、水質に合わせた安くて美味しいオリジナルブレンドを工夫して作り、広告も上手に打った店は大人気となりお客様が殺到したそうです。人の考えつかないアイデアで1880年には20軒以上にもなり、1880年代の終わりにはイギリス国内で紅茶を飲むことが日常的になっていたそうです。

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紅茶の事業を始めて1年ほど経った頃、セイロン島のコロンボで下船した彼は1870年代コーヒーの一大生産地だったセイロン島の高地の土地が暴落していることをロンドンの銀行家から聞きます。
小さい頃から生産物は直接生産者から買うにこしたことはないとの考え方を母親から教えられ守って来た彼は、高地で格安の農園を見て自らお茶の事業に乗り出し、わずか一、二週間で買い集めました。その中の本拠地となったハプタレ地区にあるダンバテン茶園へ 行ってきました。彼の住んでいたバンガローは現在も維持され、代々のマネージャに管理されています。

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その後 1893年にはカルカッタに支店を出し、インドでの紅茶事業にも乗り出します。
百万長者から億万長者となり、いろんな基金、寄付をしたトーマス・リプトンは1898年ナイトの爵位を授けられ、サー(Sir)の称号で呼ばれるようになったそうです。
ロンドンのアンティークショップでよく見かける「茶園から直接ティーポットへ。」という有名な広告のポスターがあります。アメリカで成功し、自社の印刷所で20カ国語の広告文とポスターを作り、最上級のセイロン紅茶を黄色いラベルの黄缶にし世界中に広げました。
1907年、日本でもロンドンで包装された紅茶が発売されました。どこの国へ行ってもその国の物価に合わせ、収入にあった価格で販売されています。
1931年、彼はロンドン郊外で静かにこの世を去りました。リプトンの名前は今も世界中で知られ、セイロンで成功した彼のことを紅茶王と呼んでいます。

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このリプトンのお話を最後にこのコラムでのお茶の旅はいったん終わらせていただきますが、まだまだ私のお茶の旅は終わりが見えません。
又 どこかでお茶の旅のお話を!皆さんも是非テーマのある旅をして見て下さいね。私の旅は続きます!


著者プロフィール

『メランジェ的世界の歩き方』毎月21日公開
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松宮 美惠 (まつみや よしえ)

200種類のお茶とお茶まわりのグッズを扱う「ラ・メランジェ」のオーナー。
ラ・メランジェは1988年に京都・北山にオープンし、92年からは同じ北山に店を移転拡張し、2005年9月烏丸二条に移転。2015年5月で対面販売 小売店店舗をクローズ。今後お茶を扱う専門家、飲食関連のサービス、お茶を教える専門家などに今までの経験を生かし指導をしていくことを新しいジャンルとして設ける。ものを売るというよりも、お茶とお菓子ですごす時間や空間、そこから生まれるコミュニケーションが大切だと考え、これを提案したいというのが基本的なコンセプト。このためお茶と食、またそれにまつわる文化に強い関心を持ち、1990年からヨーロッパを中心に海外に頻繁に旅し、情報を常に吸収し、ノウハウを蓄積しているのが強み。最近では、特に中国へ赴くことも多く、中国茶と茶器の品揃えも強化。現在、かの地の文化を修得しつつある。お茶については、海外からはお茶を直接輸入し卸しも行なうが、国内・国外のお茶とも、すべて自らテイスティングし、セレクトしたものを扱う方針。お茶のコーディネイトの仕事も多数。