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月の本棚 七月  地球にちりばめられて

中国大陸とポリネシアの間に浮かぶ列島。
「日本」とはあえて、書かれていない。留学中にその島国が消滅してしまって以来、故郷の誰とも連絡がとれなくなったHirukoは、移民としてデンマークで暮らしている。さまざまな国から来た移民の子どもたちに、手づくりの紙芝居で昔話を読み聞かせる仕事をしながら、自分とおなじ母国語を話す人を探している。

荒唐無稽な夢のような設定にも関わらず、物語にすっと入っていけたのは、言語学を研究する青年、クヌートの存在のせいかもしれない。彼はテレビ番組でHirukoの存在を知り、彼女と同郷の人を捜す協力を申し出る。

彼が最も興味を惹かれたのは、Hirukoが現在、話している言語だった。彼女はスウェーデン、ノルウェー、デンマークを転々とするうちに、この地の人々が聞けばだいたい意味が通じる言葉を独自につくり上げたのだ。スカンジナビア地域言語のちゃんぽんみたいなものか。

「今のわたしの状況そのものが言語になっているだけ。だから一ヶ月後にはノルウェー色が薄れて、デンマーク色がもっと強くなっている可能性。」彼女はそんなしゃべり方をする。
「わたしの紙芝居への夢は巨人。紙芝居屋としてのキャリアはネズミ。」紙芝居を面接官にプレゼンする時にはそう言った。

詩のようだ、と思った。少ない語彙で何か言いたい時、人はかえって詩的になるのかもしれない。言葉のひとつひとつは真剣勝負。使い古されてもう意味をなさない言葉はそこにはない。使い方は新しく、聞く人の心を揺らす。

「移民は一つの状況でしか使えない言葉を無数に覚えている時間はない。子どもの頃から根源的で多義的な単語を押さえておいた方がいいのではないかと思う。」
Hirukoは紙芝居を通して、子供たちに言葉を教えていく。

「ばけくらべ」という昔話がある。日本独特の「化ける」という状況について、Hirukoはラテン語の「メタモルポーセース」を使う。クリーニングに出したセーターが縮んでしまったときにはそのセーターを見せて「メタモルポーセース」、恋人への気持ちが変わってしまった時には、心臓を片手で押さえて「メタモルポーセース」、というように使うのだ。

Hirukoを中心にして人が集まってくる。クヌートに想いをよせる女装のインド人男性、アカッシュ、グリーンランド出身のエスキモー、ナヌーク、ナヌークに想いを寄せる、デンマーク人のノラ、そしてHirukoと同国の出身で、言葉を失った料理人、Susanooもまた、Hirukoの旅に加わっていく。

国が消滅し、国の言語が失われつつあっても、また、言葉を発することじたいが不可能な相手であっても、話しかける。読みとる。理解しようとする。コミュニケーションの術は必ずあり、それは柔軟に国境を越える。一方で、クヌート親子のように、おなじDNAと言語を持つ、一番近しいはずの家族同士の意志の疎通が、うまくいかないこともある。

わたしもHirukoのように、言葉を扱う仕事をしている。通じる、通じない。ひとつひとつが、真剣勝負だ。

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『地球にちりばめられて』多和田葉子 著(講談社 2018)


著者プロフィール

月刊『月の本棚  清水美穂子のBread-B』毎月24日公開
icon_shi 清水美穂子
ライター・ブレッドジャーナリスト

普段はBread+something good(パンと何かいいもの)をテーマに執筆・発信していますが、ここではBread-B。Bを外してしまって、Reading周辺のsomething goodを書いていきたいと思います。
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