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1996年、グアテマラの夜。

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京都市役所周辺にはスペイン料理店が点在しており、その一つに寺町二条の角に「ラマーサ」というお店がある。今からちょうど20年前、1998年に開業した。そして今年、2018年8月に移転・リニューアルするということで20年前の写真を見返す機会があった。

ラマーサ店主との出会いは、1996年のロサンゼルス空港からメキシコ空港へ向かう便。飛行機の中で出会った見知らぬ日本人同士が偶然にも同じく京都出身の同世代ということもあって意気投合する。

彼は二度目のメキシコだった気がする。すでにスペイン語も堪能のようだったけど、同じくスペイン語圏である隣国グアテマラの語学学校でさらに勉強するためにメキシコを経由しているということだった。僕は初めての海外旅行で二週間ほどメキシコ滞在を予定しており、スケジュールは特に決めていなかったこともあって、彼と一緒にグアテマラの語学学校に行くことにした。

今だとインターネットもあって海外との距離感は身近になっていると思うんだけど、当時の僕にとってみれば初めて訪れる海外は全くの異世界。人種、言語や文化が異なる場所に身を置くことすべてが刺激的な体験であった。

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メキシコシティーから長距離バスに乗って、オアハカという街を経由して国境沿いの山間部に入る。当時、グアテマラは内政が不安定だったので渡航規制がかかっていたとも聞いたんだけど、そんな情報は事がすべて終わってから耳にした。

メキシコからのバスは国境沿いの街が終着点となって歩いて国境を越える。グアテマラに入ってから、アンティグア・グアテマラという町に向かうバスに乗ったと思うが、いくつかの峠を越えてからバスが山中で停まった。ライフルを抱えた国境警察なのか軍隊なのか所属はよくわからない組織がバスの中に入ってきて、僕らだけがバスから降りるように指示された。

状況がつかめず、何かの検問のようだったので素直に要求に応じてバスを降りると、どうやら僕らから金銭を奪う目的のようだった。手持ちの現金をいくらか渡して、その場をやり過ごすも、乗って来たバスはすでに立ち去っていた。

気がつくと日も沈み始めるころだっただろうか、夜になる前に安全なところに行くために、次に来たバスに乗って見知らぬ町に到着する。まだ緊張したと思うが、手近なレストランに入ってみると、ホールには数席のテーブルはあったが他の客はおらず、テーブルに付くとテーブルの上の照明を点けてくれる。ぼんやりとした明かりの中で僕らは少し落ち着くことができた。

その後、町のホテルに宿泊することができ、ゆっくり休めると思ってくつろいでいると、地元の警官が部屋に訪ねて来て、一緒に町の中心部にある警察署に行くことになった。峠で起きた事件を解決してくれるのかと思っていると、どうやら警官も同じく金銭を奪う目的で僕らに声を掛けたのだ。唖然である。

峠で起きた話をふたたび説明して手持ちに現金がないことは納得した様子だったが、「明日、銀行からお金を引き出して来い。」ってことになる。まさに疲労困憊…

疲れ果ててホテルに戻る。在グアテマラの日本国大使館に助けを呼ぼうとするにも、ホテルからは電話が通じず、町の中心部の電話局からじゃないと繋がらないとのこと。これまで経験したことのない不安な夜を過ごした。

翌朝、電話局に向かうことになったが、町の中心部は警察署も隣接しており緊迫感だけが高まっていく。大使館と電話が繋がると、事は一気に解決に向かった。内政不安という背景からか、公に権力が与えられている国境警察(軍隊)や警官の横暴は問題になっていたようで、国際刑事警察機構(ICPO:インターポール)がすぐに動ける状況にあった。僕らはインターポールと共に警察署を訪れ、事の顛末を説明し、その町を離れた。

その後、古き良き街並みや風土が残っているアティトラン湖に立ち寄る。その湖畔のホテルで、この数日で起きたことを振り返った。「命あっての物種」とはまさにこういうこと。

 


著者プロフィール

月刊『駅、バス停、道すがら何処でも誰かに出会う街』毎月1日公開
prof_sahara佐原 誠

京都府宇治市に生まれて、今は京都市内の太秦と呼ばれる街に住んでいます。
「何やってる人?」と言われることはよくありますが、裏側での仕事も多く、何事も露わにしておらず、そんなイメージになっているんだと思います。ちょっとした乗りで2014年9月からランニングを始めることになりました。
最近、情報整理する上で一度アウトプットするのも良いかと思ってきたので、note と呼ばれるブログをたまに投稿しています。
https://note.mu/saharamakoto