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大車輪 -プロローグ-

 グルグル回る車輪(wheel)とは多分に言葉の綾である。いや、回ったのは確かだけれどただの一度きりで、おまけに30年以上もかかっている。現実には三角形(triangle)と呼ぶのがふさわしいのかもしれぬ。さらに時間を直線に譬え、身も蓋もなくせば、私はゆっくりのんびりと遡航した(さかのぼった)。そんなごく個人的な範囲ではあるが、文学史上の著名作品を読み巡った長旅のお話をしようかと思う。そのスケールはキリスト教史と同じ2000年にわたる。
 繙く足はこのときイタリア・ローマをめざした。さらに旅を続けると舞台はギリシアに移り、ホメロスや演劇作品、ヘロドトスなどの歴史書、プラトン以前からの哲学の著述に及ぶが、そちらの旅はひと言でいえば、別のツアー企画だった。これもまた結構高くつくのだが。
 で、ローマに戻り、昨年から今年にかけて、すでに岩波文庫の復刻版で入手しておいた『アエネーイス』を読んだ。そのあと続けて、オーストリアの作家ヘルマン・ブロッホの長篇作品『ウェルギリウスの死』をおよそ30年ぶりに再読した。この作品でその死が叙述される詩人こそ、他ならぬ『アエネーイス』の作者である。私はやっと源流にたどり着いた。まことに笑止千万である。
 ブロッホ(Broch)が第二次大戦終結の年、1945年に書き上げた彼の代表作、その日本語訳を、今も交流の繭糸を紡ぐ畏友から譲り受けて一度は読んでいた。強制収容所にも送られた作家はオーストリア人で、原語はドイツ語。今回久しぶりに再読して、そこから自分が創作の原動力を学んだことを想い知らされる。こういう経験はなかなかに悦ばしく、しかもこれが初めてではない。たとえば90年代から、フランスの哲学者ドゥルーズの主要著作に取り組んできた。そして数年前、本人の著述ではなく、彼の用いる概念を説明する解説書の類いを読んでいた時、自分の方法や対象の捉え方の基礎にその読書体験が強く影響を及ぼしていることを思い知らされ、われながら驚いたことがある。
 さてお気づきのように、2作品では線は作れてもまだ三角には届かない。私は30年間のちょうど中程あたりで継点を設置し、そこで何とか喉を潤した。待っていたのは、ダンテの『神曲』である。その中にもウェルギリウスが登場する。彼は地獄から煉獄の山に登る作者ダンテに随伴した。ふたたび作中に描かれたこの同じローマの詩人に出会ったのち20年近くをへて、私はようやく彼自身の作品に触れることができた。(つづく)

(ここで私が読んできた訳書をあげておきます。『神曲』と『アエネーイス』には文庫も含め日本語訳が現在も入手可能ですが、ブロッホの逸品については古書しかないのかもしれません。また、この大車輪のシリーズは毎月連載ではなく、間に適宜べつの単独のトピックも挟まれることを予めお断り申し上げます。)

ヘルマン・ブロッホ『ウェルギリウスの死』(1945)(川村二郎訳 1966 集英社20世紀の文学 世界文学全集7)

ダンテ・アリギエーリ『神曲』(1321)(寿岳文章訳 1990年 集英社ギャラリー[世界の文学]1 古典文学集)

ウェルギリウス『アエネーイス』(紀元前19)(泉井久之助訳 1976 岩波文庫上下)

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なお写真は筆者がパリのモンマルトルで撮影したものです。


著者プロフィール

mensuel『一路多彩 -pluralité unique-』毎月10日公開
nina蜷川泰司(にながわやすし)

文芸作家。1954年京都市に生まれる。
長篇『空の瞳』(現代企画室)で2003年にデビュー。かたわら今日まで、通信誌やホームページに数多くのコラムや論評を執筆
『子どもと話す 文学ってなに?』(2008 現代企画室)
『新たなる死』(2013 河出書房新社 作品集冒頭の「コワッパ」はル・プチメック今出川店に取材する)
『迷宮の飛翔』(2015) 『スピノザの秋』(2017 いずれも河出書房新社)
この2点は長篇の連作『ユウラシヤ』のプロローグと第1部にあたる。
次回作品『ゲットーの森』(仮題)は2019年に刊行の予定。