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三十二杯目 僕が見上げる秋の月

誰かに見られてる気がして窓の外を見ると、月と目が合うことがある。月が黙って話してる声が、聞こえてきそうな夜がある。

最近、スーパームーンやらブルームーンやら、騒ぎすぎだなと思う。何十年に一度のなんとかムーンが、いったい何回あるんだよ。

人はまず、花を好きになり、鳥を好きになり、風を感じるようになり、最後は月を愛するようになるらしい。

僕はどうだろう。お花屋さんになりたかった頃はまだうまく恋ができなかったし、鳥を好きだと思ったことはとくにない。風が気持ちいいと知ったときは本気の恋が終わりかけてたし、月の美しさがわかるいまは、恋がちょっとわずらわしい。

僕は周りの人が騒ぐほど、満月や綺麗な月をありがたいと思わない。むしろ、ちょっと怖いなと思ってしまう。

いまから3000年以上前、古代バビロニアでは、月蝕になると王が死ぬと信じられていた。それを恐れた王様は、身代わり王をたて、自らは宮殿の奥深くに身を隠し、月蝕が終わると身代わり王を殺したという。

村上春樹の小説「ねじまき鳥クロニクル」の主人公は、満月の夜はたくさんの馬が死ぬんだよと、失踪する妻に話をする。

人はずっと昔から、月の満ち欠けとともに、恋をして、愛を語り、歌をうたい、物語を紡ぎ、人を殺し、祈りを捧げてきた。

「月にウサギが住んでるのはね、神様への貢ぎ物がなくて困ったウサギが、私を食べてくださいって火のなかに飛び込んで、それを憐れに思った神様が、ウサギを生き返らせ、月に住まわせたからなのよ」

お月見の夜、そう得意気に話す近所のおばさんは、誰も喜ばないことを嬉々として話す嫌な人だった。

「星月夜(ほしつきよ)」という言葉がある。星が月のように輝く夜のことらしいが、そんな景色は一度も見たことない。

ニューヨークの近代美術館に永久保存されている絵画「星月夜」は、誰もが一度は目にしたことある有名な作品だ。

煌々と光る星と三日月は、観る人に、不安と、胸騒ぎと、不幸の足音を連れてくる。ずっと眺めていると目が回りそうになるその絵の存在を知ったのは、中学生のときだった。

美術の先生が「すばらしい想像力だ」と誉め称えていたけど、バカだなと思った。彼にはこの風景がほんとに見えてたんだよ。

大人になり、その絵がフランスの精神病院で描かれたことを知った。自ら切り落としたあなたの耳には、どんな声が聞こえていたんですか?

仲秋の名月が近づくと思い出す。26歳で絵の勉強をはじめ、生前は一枚の絵しか売れず、37歳で自ら命を絶った、不遇の天才・ゴッホの名作。


著者プロフィール

月刊連載『外苑前マスターのひとりごと。』毎月15日公開
icon_saeki佐伯 貴史(さえき たかふみ)

BARトースト』のマスター
コーヒー会社で営業を経験後、雑誌の編集に興味を持ち『R25』『ケトル』等の媒体に携わる。歌と本と旅と人が好き。餃子は酢とコショウで食べるのが好き。