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大車輪2 - 綴る私と綴られる私から -

 「おお詩人よ、あなたはダンテの作品をひっくり返し
  サタンを上に置き、神の方へ下って行ったのだ。」
               (ヴェラーレンの詩篇「シャルル・ボードレールへ」の末尾。
                    ベンヤミン『パサージュ論-Ⅱ ボードレールのパリ』より)

 10月13日、東京の会合で興味深い指摘に接した。毎年開かれる「死刑囚の表現展」の応募作品(文芸と絵画)をめぐり、専門家の諸氏がそれぞれの講評を述べていた。壇上に並ぶ4人の男性のうち、ある芥川賞作家の話を享けて、私の長年の知己でもあるドイツ文学の研究者がコメントする。そのとき論じられていた作品はいわゆる「ノンフィクション」だった。

「私はたとえノンフィクションでも、書く私(筆者)とその中に書かれた私(文中の)は厳密に区別するんです。」

 会合のあと、夕暮れの国会議事堂近くを歩きながら、少しご本人とお話をした・・・・
 何でもないひと言に見えるかもしれないが、この設定に思わず心揺すぶられた。「ノンフィクション」に対して、私は「フィクション」の側を基軸に仕事をしている。2つの領域の間に鏡を立てるとして、どちらが虚実かということも棚上げにしたうえで、このときノンフィクションの側から発せられた識別があっさりと境界をのりこえ、フィクションの側で作業をする私の胸先にも突き通った。しかも鏡自体は壊されず、そこには鏡面にしかなしえないような「映し合う」関係が保たれている。要するに同じ指摘に、私は反対の側から向き合ってきた。
 作品の中に書き込まれていく〈一人称〉(私、俺・・)と〈三人称〉(彼、彼女・・)、それらの間の位置取りだけで物事は済まされない。そこからはみ出すものがある。いったい物語る私(作者)との間にはどんな関係を形成しているのかと、いつでも刻々考えさせられてきた。

- ジョン、今はもうこの世の人ではないのかもしれない君、でもいま私が書いているこの作品の中にはいるというジョン、その君がいま「私」と言ったね。それを言わせたのはこの私だ。ということは、その「私」とは真実のところ、誰のことなんだろう・・・・)

 時間をかけて、私はその「はみ出すもの」を記述しているだけかもしれない。
 そこに持ち出される〈二人称〉(きみ、おまえ、あなた・・)も果たして誰なのか。書きこまれた「私」「彼女」そして「彼」が〈二人称〉で呼びかけるかたわら、書いているこの私も呼びかけているのではないか。書かれた者たちが「おまえ」というとき、書いた者も「おまえ」と声をかける。

- ジョン、元からこの世の人でもなかった、ジョン。君はいまヨハンナに向かって「きみ」と呼びかけたね。その「きみ」というのは、確かにヨハンナだろうか。それとも誰でもない不特定の、誰にでも成りすますことのできる「きみ」だろうか。「いいや、違うね」ときみは切り返す。ヨハンナに呼びかけたのは私ではなくて、この物語を書いているあんただよと・・・・)

 話は入口に達したばかりである。ヘルマン・ブロッホは1945年刊行の『ウェルギリウスの死』について、同年「自註」を公表している。その中からいま取り上げた問題にも関わりの深い一節を引いて、余韻を残し、今月はまとめておきたい。
(冒頭に「ブロッホ固有の」とあるが、それを書いているのもブロッホ本人である。)

c_nina30「ブロッホ固有のそのシンタクスは要するに二つの根本条件の機能なのであって、この二つの根本条件はもちろん相互に分ちがたく結びついているものである。すなわちそれは、一つは音楽的構造であり、もう一つは内的独白のことであって、シンタクスはこの両者と一致している——この全体詩は三人称で述べられているにもかかわらず内的独白として理解されなければならない——。この内的独白は、文学のいたるところで普通用いられているように、追憶と感情告白をもたらし、肉体的感情の告白にまで深めているが、しかしこの作品ではこれらをはるかに超えて、いかにしてすべてのものから形而上学的根本思想と哲学的定理とが連想的に引き出され展開されるかを明らかにしている。この作品では会話のシーンさえも内的独白へしだいに移行し、外界の事象や現実の対話の部分さえもモノローグ化され、そうすることによって強く抽象化され再生されているのである。」(入野田眞右訳 1995 北宋社)
                             (2019年1月につづく)


著者プロフィール

mensuel『一路多彩 -pluralité unique-』毎月10日公開
nina蜷川泰司(にながわやすし)

文芸作家。1954年京都市に生まれる。
長篇『空の瞳』(現代企画室)で2003年にデビュー。かたわら今日まで、通信誌やホームページに数多くのコラムや論評を執筆
『子どもと話す 文学ってなに?』(2008 現代企画室)
『新たなる死』(2013 河出書房新社 作品集冒頭の「コワッパ」はル・プチメック今出川店に取材する)
『迷宮の飛翔』(2015) 『スピノザの秋』(2017 いずれも河出書房新社)
この2点は長篇の連作『ユウラシヤ』のプロローグと第1部にあたる。
次回作品『ゲットーの森』(仮題)は2019年に刊行の予定。