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月の本棚 十一月  ある小さなスズメの記録

わたしはかつて、雀だった。当時を知るひとにはいまも、雀かもしれない。

おしゃべりだったこともあって、そんなあだ名で呼ばれた時期があったのだ。だからどこかで「スズメ」と声がすると振り向くし、雀のことは常に、ひとごととは思えない。

『ある小さなスズメの記録』は、昔の本みたいだ。きちんと箱におさまって、近頃の本とは格が違うオーラを放っていた。たかが雀の記録なのに。

原題は聖書から引用された「Sold for a Farthing」、直訳すれば「安売りの」となるだろうか。雀は「2羽1銭で売られるくらいの存在」として聖書に登場している。やはり、ちっぽけな存在なのだが。

舞台は、第二次世界大戦中から後のロンドン。巣から落ちた雀のヒナが、ひとり暮らしのキップス夫人に拾われて、看取られるまでの12年余りの実話だ。夫人は音楽家で、クラレンスと名付けたその雀を肩にとまらせ、ピアノを弾いて聞かせるうちに、彼は歌をおぼえるのだった。さえずりではなくて歌を、そしていくつかの楽しい芸も。それは爆撃機の襲来に怯える町の人々の心を明るくしたのだった。

信じられないと思うひともいるだろう。夫人は雀の晩年になって撮影することを思いつくまで、一枚も写真を撮らなかったのだ。そういう時代だった。そして「もう数年遅く生まれていたら、彼はテレビで一番の人気者になっただろう」と夫人は書いている。今ならYouTubeだ。「それでも私は彼が芸人稼業を本職として楽しんだとは思えないし、私自身動物が、明らかに彼らの性質や傾向と反するのに、人間の余興のためにずっと働かされることには賛成できない」。
夫人は感情を抑制して雀を客観的に観察し、記録し続けた。でもたまに、雀のあまりの愛らしさに感情がこぼれ出るところが、ほほえましい。

雀は夫人の留守中に、ひとりで歌の練習をしているらしかった。毎日繰り返し何度も。「それがある朝突然、バスルームで水道の蛇口から水を出しているとき、この耳でそれが―― 一風変わった可愛らしい歌が ――はっきりと、鍵をかけた部屋からもれてくるのを聞いたのである。それはさえずりから始まり、小さなターン注1を経て、メロディを形づくろうと試み、高い音色(普通のスズメの声域より遥かに高く)を出し、そして――驚異中の驚異!――小さなトリル注2に至ったのだ。私は魔法にかかったようにドアのところで聞き惚れていた」

注1:回音。主要音と上下の隣接音を交互に奏する装飾音の一種
注2:装飾音の一種。ある音とそれより二度高い音とを急速に行き来し、音を震わせる

雀はお茶の支度(ロンドン的!)を興味深く見守り、ティースプーンからミルクをのみ終えると、ベッドへ先導することもあった。「私がちゃんとついてきているかどうかを確かめては、もったいぶった足どりで跳ねつつ、チュンチュンとおしゃべりしながら、私を休息へと誘う様子は――まるでウォルト・ディズニーの映画のように――幻想的な眺めだった」

映像がなくても情景が目に浮かぶ。雀の心の動きを読み取ろうとする夫人のまなざしは終始、真剣で優しい。夫人の顔を知らないが想像できる。赤ちゃんや犬の表情を見つめる母親や飼い主、生地の状態を見きわめようとするパン職人のそれだ。

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『ある小さなスズメの記録』クレア・キップス著 梨木香歩訳(文藝春秋 2010)


著者プロフィール

月刊『月の本棚  清水美穂子のBread-B』毎月24日公開
icon_shi 清水美穂子
ライター・ブレッドジャーナリスト

普段はBread+something good(パンと何かいいもの)をテーマに執筆・発信していますが、ここではBread-B。Bを外してしまって、Reading周辺のsomething goodを書いていきたいと思います。
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