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気がつくなら、行動しようか。

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改めて調べてみると「ボランティア」とは、他人や社会に奉仕することらしく、その「奉仕」とは見返りを求めない行動だという。その動機って人それぞれだろうし、行動したいと思った時に動けば良いだろうという話。

数年前だっただろうか、連休に合わせて災害ボランティアに行った社員が勤めている会社(社員50名ほど)の経営者の方から、「僕は雇用を作るという形で社会に還元している」という話を聞いたことがあった。雇用はボランティアではないんだけれど、その社員の生活基盤を作っているのは確かなことだと思っていた。でも、身軽に行動する若者を目の当たりにして、その経営者も何かしたかったんじゃないだろうかな。

1995年の1月早朝、阪神淡路大震災を京都市内で経験した。大学からほど近い一乗寺という町にある四畳半一間のアパートで大きな揺れを感じた。当時はインターネットなども普及しておらず、大学に行ってみると特に変わった様子はなかった気がする。数日すると阪神方面の出身者から、自宅が半壊したり親戚が亡くなったという話を聞くこともあったが、僕にできることもないようだった。というかそんな程度にしか気持ちが動かなかった。

被災が共感できないこともあってか、同情は余計なことだと思っており、慰めるような言葉をかけることもなく、普段と変わらない接し方をしていた気がする。今、振り返ると他者とのコミュニケーションにおいて「想像力が欠如している」ことが多く、知らない間に人を傷ついけていたこともあった。

ふと、交通事故を目撃した時も、いち早く動く人が確認できれば素通りすることもあるし、バスや地下鉄でも自分が疲れている時には椅子に座って目をつぶることもある。僕にとって「善意」は、事が起こってから考える時間が長いと利己的な側面が現れてきて、結果として動かないことが多かった。

おそらく、そういう経験が引け目となって積み重なっており、何かが心の隅に残っているせいだろうか、「考えるのは後にして、気がつくなら、ささやかなことでも行動するのがいい」と思うようになってきている。(ブルース・リーが近い言葉を使っていたけど意味は違うんかな♪)

<ちょっと書き出す>
・そう言えば、御神輿への参加は「ご奉仕にいく」と言っている。
・何事も積み重ねなんだということは、数年前始めたランニングで実感している。
・路地裏に住んでいることもあって、自衛をキッカケとして消防団に入ってみる。
・「こんにちは」程度の挨拶でも、隣人同士の潤滑油になっている。
・未曾有の災害であっても、蟻のように動けば何とかなると知っている。
・窓割れ理論は日常生活の多くに当てはまる考えだと納得できる。

試練が人を成長させるらしいが、試練なんてそうそう訪れることはない。そんな機会がないと日常を過ごすだけになるんだけれど、少しずつ環境や習慣を変えていくことで、昔は動けなかった状況であっても、心身の身軽さを感じ取れるようになっている。

特にこの10年間は仕事や生活環境の変化や、巡り合わせもあって「感謝して生きる」ということを実感する。すでに平均寿命の半分は生きているので残りは半分ぐらいあるとして、僕で返せるものがあれば返していこうか。

(冒頭写真は台風21号で被災した近所の神社。ちょっと時間が掛かるパターン)

 


著者プロフィール

月刊『駅、バス停、道すがら何処でも誰かに出会う街』毎月1日公開
prof_sahara佐原 誠

京都府宇治市に生まれて、今は京都市内の太秦と呼ばれる街に住んでいます。
「何やってる人?」と言われることはよくありますが、裏側での仕事も多く、何事も露わにしておらず、そんなイメージになっているんだと思います。ちょっとした乗りで2014年9月からランニングを始めることになりました。
最近、情報整理する上で一度アウトプットするのも良いかと思ってきたので、note と呼ばれるブログをたまに投稿しています。
https://note.mu/saharamakoto