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三十五杯目 歌とみかんと僕の一年

「歌」という字は好きだけど、「唄」という字は好きじゃない。違いを調べるてみると、「歌」は人が口を開けて歌っている姿を表したもので、「唄」は仏の功徳をほめたたえる歌とのことらしい。

いい歌にたくさん触れた週末だった。歌は心で歌うものなんて陳腐な言葉があるけれど、まさにその通りだと思う。

ボルサリーノの帽子を被って、黒い服を身に纏い、ギターとブルースハーモニカを奏でながら、しゃがれ声で歌いあげる74歳のその男は、青紫のライトの下でにびいろに輝いていた。

男なら一度は、こんな年のとり方に憧れるんじゃないだろうか。頑張ってもなかなかたどり着けない場所だけど。

18歳のとき、ヨウジヤマモトの服がとても似合う女の子に恋をして、そのブランドばかり着るようになった。服は僕を飾るだけでなく、強く、大人にしてくれた。

それから20年間、黒い服は僕の代名詞となる。

その山本耀司さんが18年ぶりに一夜限りのライブを行うと聞き、ブルーノートに駆けつけた。

赤い壁の小部屋、深い海の底、歳をとらない少女、いらついた街、倒斜の恋、パリの並木道。彼の声を通じて、いろんな風景が見えてくる。

アルバイト代を貯めて初めてヨウジヤマモトの服を買いに行った土曜の午後。それを着て入ったお洒落なバー。そのとき隣にいた女の子。将来は普通に結婚すると思っていたこと…。

さまざまな想いがあふれでてきて視界が霞む。おそらくこれが彼の最後のライブ。平成最後の師走の夜、僕は無言の生き証人となる。

黄色いイチョウがアスファルトを埋めつくし、今年も残すところ二週間となった。毎年この時期になると、実家からみかんが届き、本格的な冬が来たことを実感する。

僕はみかんをそんなに食べないけど、父がはりきって送ってくるので、断らないことにしている。

見た目は悪いけど味はいい、地元で消費される典型的なみかん。これもきっと親孝行。段ボールいっぱいの不揃いのみかんを、今年もトーストのお客さんと食べようと思う。

今年はどんな年だったと聞かれても、ちょっとまだ答えられない。あっという間すぎて、ひどい時差ぼけのなかにいるみたい。でも、たくさん笑ったことだけは間違いない。お客さんたちと本当によく笑った一年だった。

歌うことと笑うことは、どちらも身体にとてもいい。来年も良い一年になりますように。

皆さまもよいお年をお迎えください。


著者プロフィール

月刊連載『外苑前マスターのひとりごと。』毎月15日公開
icon_saeki佐伯 貴史(さえき たかふみ)

BARトースト』のマスター
コーヒー会社で営業を経験後、雑誌の編集に興味を持ち『R25』『ケトル』等の媒体に携わる。歌と本と旅と人が好き。餃子は酢とコショウで食べるのが好き。