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月の本棚 十二月  無声映画のシーン

「今では雪になっている母に」という献辞に惹かれた。続いて「問うべきは死後に人生があるかどうかではなく、死ぬ前に人生があるかどうかである」という、一行目にノックアウトされた。

炭鉱の町で生まれ育ったフリオは大人になって、母親が遺した30枚の写真から、人生最初の12年を回想する。それが短編小説になっている。

少年の世界観はウディ・アレンの『ラジオデイズ』を思い出させるが、色調は暗い。あるいは悲しいほど明るい。町に初めてテレビがやって来た日のことや、月面着陸の話が出てくるので、『ラジオデイズ』よりは少し後の時代だ。でも、ノスタルジーは、あのせつない感じは、共通すると思う。

退屈な少年時代は、映画館の入り口でポスターを眺め、空想にふけることで過ぎていった。いま眺めている写真は、映画のポスターのようなものだ。やがて被写体は命を得て、記憶のスクリーンで動き出す。

本に写真はない。1950年代から60年代のスペインの炭鉱の町の情景を知る読者も、そういないだろう。にもかかわらず、わたしたちは少年の目を通してありありと、それを観ることができる。

女の子との初めてのダンス。ダンスホールには入れないから、裏の丘まで流れてくる音楽で、踊るのだ。永遠に終わらないで、と願うのに、曲は終わり、女の子も消えている。「生まれて初めて時間が過ぎていくのを感じ」打ちひしがれる少年。「せつなさ」と、「過ぎゆく時間」は、この小説の重要な要素だ。

車で走っていると、反対車線は瞬時に通過する美しい色のシミとなって遠ざかっていく。「休むことなく人生を歩み続けている場合も」とフリオは言う。「そしてこちらが気づかないうちに、時間は速度を増し、ぼくたちの人生と同じようにどんどん過ぎ去っていく。しかし、ある日、ハイウェイの横に広がる風景を眺めようと車を停める旅人のように、ぼくたちは立ち止まる。そのときはじめて、自分がどれほどの距離を走り、いかに多くのものを失ってきたかに思い当たるのだ」。

年をかさねると、その感覚がリアルになってくる。
見世物一座のアザラシ男、バルバチェイの話がある。大勢の観客の前で、彼は顎で、椅子に座ったフリオを持ち上げた。

「ぼくは宙に浮かんで、空中をふわふわ漂っていたが、その間、宣伝用のポスターに描かれている顎の上に載った地球のように、時間がぼくの手の中で止まっていた。あの夜は、ぼくの人生でももっとも華やかな一夜であり、当時のもっとも鮮烈な記憶として残っている。しかし、人生はくるくる回っていく。ぼくがバルバチェイの顎の上で宙に浮かんでいるときに地球が回転したように、人生はくるくる回転している。そうして回転しているうちに、時に人生が、古い写真のように忘れ去っていた過去の思い出を目の前に突きつけて、ぼくたちをびっくりさせることがある」

ある日、フリオはもう何年も打ち捨てられたまま、イバラに覆われたバルバチェイの車を見つける。時間の重みに耐えるのは、時に顎で世界を支えるよりも辛いことだと彼は教えてくれたのだ。

写真を眺める現在と、写真に写った過去をたゆたいながら編まれた物語はいつしか、読むひとの記憶のスクリーンで、そのひとだけの映像となって再生され始める。

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『無声映画のシーン』フリオ・リャマサーレス著 木村榮一訳 (ヴィレッジブックス2012)


著者プロフィール

月刊『月の本棚  清水美穂子のBread-B』毎月24日公開
icon_shi 清水美穂子
ライター・ブレッドジャーナリスト

普段はBread+something good(パンと何かいいもの)をテーマに執筆・発信していますが、ここではBread-B。Bを外してしまって、Reading周辺のsomething goodを書いていきたいと思います。
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