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月の本棚 一月  べつの言葉で

ジュンパ・ラヒリは、大好きな作家のひとりだ。1999年の『停電の夜に』から始まって、新しい本が出るのをいつも心待ちにしている。その文章は静かな情熱を秘めていて、どこか寂しく、しなやかで美しい。

「書いているときには、わたしの顔かたちや名前は関係ない。姿を見られることもなく、偏見やフィルターなしに耳を傾けてもらえる。わたしは目に見えない存在だ。わたしはわたしの言葉になり、言葉がわたしになる」。言葉は、彼女そのものなのだ。

ジュンパ・ラヒリはインド系アメリカ人作家で、ニューヨークに住んでいた。今はローマに移住して、新作『べつな言葉で』はイタリア語で書かれた。何語で書かれているにせよ、翻訳を読むぶんには関係ないかもしれないが、英語で数々の文学賞をとるほどの、確固たる地位を築き上げた作家が、最も大切なはずの言語を潔く捨て去り、再び一から覚えたイタリア語でキャリアを積んでいくのだ。それは、すごいことではないか。

慣れない外国語で書かれた文章は、その国の読者に違和感をもたらすことも少なくないだろう。その挑戦について書かれたエッセイが本書で、2つの興味深い夢のような短編小説も含まれている。

彼女の背景には、少なくとも3つの言語が存在している。ひとつめは両親から受け継いだベンガル語。幼少時にアメリカで育ったため、完璧には話せない。ベンガル語が「母」なら、英語は押しつけられた「継母」のような存在だ。やがてそれは自由で元気いっぱいで自立した「長男」というメタファーに変わる。しっかり身について正確だが、好きではない。むしろ絶望している。そして、イタリア語には恋に落ちたとしか思えないエピソードが連なる。それはやがて「養子」の次男という存在に変化する。愛情を注いで育てなければならない幼い子供で、未来を託している。

「子供のころから、わたしはわたしの言葉だけに属している。わたしには祖国も特定の文化もない。もし書かなかったら、言葉を使う仕事をしなかったら、地上に存在していると感じられないだろう」

インドでもアメリカでもイタリアでも「ガイジン」と見なされ、どこにいても中途半端で所在ない彼女が、一歩ずつ自分の世界を切り開いていくさまに、勇気づけられる。
その努力は、外国語の習得に苦労したことがあるひとなら、どこを読んでも納得できるだろう。

彼女は作家として、毎日のように言葉の採取を続ける。ノートに書き留め、おぼえる地道な作業だ。そうして、エキスパートではなくずっと見習いでいることをよしとする。名声を捨て、成長し続け、変化していく可能性を選ぶ。その清々しさに、心打たれる。

「わたしは一人ぼっちだと感じるために書く。小さな子供のころから、書くことは世間から離れ、自分自身を取り戻すための方法だった。わたしには静寂と孤独が必要なのだ」

日本語への訳者が英語の小川高義さんからイタリア語の中嶋浩郎さんに代わっても、わたしの好きなジュンパ・ラヒリの筆致は健在だった。

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『べつの言葉で』ジュンパ・ラヒリ著 中嶋浩郎訳 (新潮社 2017)


著者プロフィール

月刊『月の本棚  清水美穂子のBread-B』毎月24日公開
icon_shi 清水美穂子
ライター・ブレッドジャーナリスト

普段はBread+something good(パンと何かいいもの)をテーマに執筆・発信していますが、ここではBread-B。Bを外してしまって、Reading周辺のsomething goodを書いていきたいと思います。
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