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月の本棚 四月 名もなき人たちのテーブル

11歳の少年がセイロン(イギリスの植民地。現在のスリランカ)からイギリスまで、大型の船で21日間の一人旅をする。何年も離れていた母と再び一緒に暮らすためだ。タラップをのぼるとそこはもう、ひとりの大人として扱われる世界だ。「彼は人を評価したり、腹を探ったりしない。見聞きしたことをそのまま受けとって、いい方にも悪いほうにも染まっていく」。彼はいかにも少年らしい資質を持っている。

その船「オロンセイ号」はタイタニックみたいな—————と、船に疎いわたしは一瞬思い浮かべたのだけれど、タイタニックよりずっと小さかった。それでも7階建てでプール付き、乗員600人以上という大型船だ。「名もなき人たちのテーブル」(キャッツ・テーブル)とは、食堂の末席のこと。食事のたびに顔を合わせる中には同年代の男の子たちもいて、映画『スタンド・バイ・ミー』を彷彿とさせるような、悪ガキ三人組が結成される。他には仕立て屋、鳩を連れた女性、ジャズピアニストなど個性的な面々—————。

「夜な夜なパーティで、ばかでかい動物のお面をかぶって千鳥足でうろつくおとなたちや、スカートをひるがえして踊る女性たち、ステージではマザッパさんの参加する船上オーケストラが、おそろいのプラム色の衣装を着て音楽を奏でていた」

船倉の下には植物を運ぶための庭があり、植物学者が案内してくれる。船は鳥も犬も囚人も輸送している。旅芸人がいて、呪いのせいで瀕死の大富豪がいて、耳の不自由な少女がいて、覆面捜査官がいて、泥棒の男爵がいる。少年の想像世界の住人ではない。リアルに興味深いキャラクターを持った人たちなのだ。脇役のようでいて、誰もが主役級の濃い人生を生きている。少年たちは船の中を走り回り、観察をし、耳をすませる。二人の友だちの性格は真逆ながら、どちらも少年の人生に大きな影響を与える。影響力。彼らは権力に対する好奇心を持たない。人生を変えるのはいつだって、このテーブルで会うような名もなき人たちなのだから。

「オロンセイ号におけるうちのテーブルの位置づけは相変わらず最低で、一方、船長のテーブルの連中は、いつも互いにちやほやしあっていた。それは僕がこの旅で学んだ、ちょっとした教訓だった。面白いこと、有意義なことは、たいてい、何の権力もない場所でひっそりと起こるものなのだ」

彼らにとって客船は移動する遊園地であり、探検する島であり、夢のような祭の日々だ。でも現実はこの世の縮図。彼らは悪戯の延長線上で、シリアスな事件や危うい犯罪にもニアミスする。

船には美しい従姉も乗り合わせている。彼女を慕う感情の動きと戸惑い————「僕のなかに息づくそれは、喜びなのか、あるいは悲しみなのか。それがあると、水のようになくてはならないものが欠けているみたいだった」。
私は、欲望をこんなに美しく表現する言葉を他に知らない。あると気づくことで、欠けていると気づく、なんて。

人生のひとときを共有した人たちが船を降り、それぞれの道をゆき、ずっと後になって明らかになっていくことがある。「歳月がすぎて、混沌としていた断片、物語のなかで欠けていた部分が、違う場所で新たな光に照らされるとき、より明確な意味を持つようになる」。かつての少年が語る物語は、舞台を降りてからもずっと続いていく。

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『名もなき人たちのテーブル』マイケル・オンダーチェ著 田栗美奈子訳(作品社 2013) 


著者プロフィール

月刊『月の本棚  清水美穂子のBread-B』毎月24日公開
icon_shi 清水美穂子
ライター・ブレッドジャーナリスト

普段はBread+something good(パンと何かいいもの)をテーマに執筆・発信していますが、ここではBread-B。Bを外してしまって、Reading周辺のsomething goodを書いていきたいと思います。
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