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7月 ゴーヤ

 ゴーヤという沖縄の呼び名が一般的になる前は苦瓜(にがうり)と呼んでいたと思う。園芸学ではツルレイシと言うのだそうだ。
 ゴーヤをはじめて食べたのは、たぶん新橋の沖縄料理店で頼んだゴーヤチャンプルーで、島豆腐の入った野菜炒めのメインの野菜としてゴーヤの苦味を知った。チャンプルーという言葉は、料理の名前よりずっと前に、久保田麻琴と夕焼け楽団のレコードのタイトルで馴染みがあった。『ハワイ・チャンプルー』というそのアルバムは、もしかしたらぼくの沖縄音楽への入口だったかもしれない。
 ずっと、苦さをおいしさとして受け入れるのは大人の特権のように思っていた。ビールとか秋刀魚のワタとかに嬉々とする大人を横目で見ながら、子供のぼくははひたすら甘さを求めていたはずだ。それは沖縄の子供たちも同じなのだろうか。はじめて食べた時のゴーヤチャンプルーをおいしいと感じたのは、ゴーヤの苦さよりも、それを和らげるような島豆腐やタマゴやポークが一体になった味が気に入ったからだと思う。それは基本的にいまも変わらない。
 鹿児島の天文館に〈湯豆腐 ごん兵衛〉という店があった。自分にとっては鹿児島そのもののように思っていた店だが、いまはもうない。ご主人の久保さんは、お姉さんが女将さんだった時代は奥で料理を担当していて、前に出てくることはほぼなかったが、女将さんが亡くなってからは、ときどき料理の合間に前に出てくるようになった。女将さんの頃もそうだったが、久保さんの話す鹿児島弁は心地よく耳に響き、それによって焼酎のお湯割りがさらにすすんでしまう。ある夏の暑い盛りに、キビナゴの串焼きを食べていたぼくに、久保さんが「あんた、にがごい、好きね?」と声をかけてくれた。何を言っているのかわからずポカンとしていたら、一緒に飲んでいた鹿児島の友人が「ゴーヤ、好きですか?」と言う。鹿児島ではゴーヤをにがごいと呼ぶらしい。ぼくは首を縦に振った。久保さんは奥に消え、しばらくしてから中くらいの鉢に入った大量のゴーヤの塩もみに鰹節をたっぷりかけたものを持ってきてくれた。島豆腐もポークもタマゴもない、ゴーヤそのものとはじめて向き合うことになった。これがすごくおいしくて、その夜の蒸し暑さを忘れてしまうくらい爽やかだった。ぺろりと平らげたら、久保さんがにこにこ笑いながら、さっきよりもさらに山盛りのにがごいを持ってくる。そちらは、残したら悪いという気持ちでなんとか平らげた。その日から、おそらく久保さんはぼくのことをにがごいが好きな男として記憶してくれたらしい。梅雨の頃から〈ごん兵衛〉に行けば、毎回、大量のにがごいが出てくる。夏になるとゴーヤが食べたくなるのは、久保さんのせいである。

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著者プロフィール

月刊連載『好物歳時記』毎月2日公開
icon_okamoto岡本 仁(おかもと ひとし)

ランドスケーププロダクツ
北海道生まれ。いろんな町をブラブラして、いつも何か食べてる人
と思われていますが、いちおう編集者です。
著者は『ぼくの鹿児島案内』『ぼくの香川案内』『果てしのない本の話』など。
雑誌『暮しの手帖』で「今日の買い物」という旅エッセイを連載中。