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風の薔薇 15
『大いなる幻影』
 偉大なるフランスの反戦映画

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 フランスのヌーヴェル・ヴァーグにスポットを当てて、連載を続けてきた「風の薔薇」だが、今回が一応、最終回となる。コラム再開の可能性もあるが、ここで区切りをつけて、大作に挑むことにしよう。

 今月取り上げる映画は、満を持して『大いなる幻影』である。ヌーヴェル・ヴァーグの監督たちも賞賛していたフランスのジャン・ルノワールの作品である。
 製作年代は1937年。時代的には第二次世界大戦の少し前に当たるが、第一次世界大戦当時の、英仏独軍の様子を描いている。
 何と言っても注目に値するのは、ドイツ人大尉役のエーリッヒ・フォン・シュトロハイムの、怪演と存在感。そして、貴族のフランス人大尉を演じるピエール・フレネのエレガントな物腰と気品だろう。
 他に中尉マレシャル役にはフランスを代表する男優ジャン・ギャバンなど、名優には事欠かない布陣だ。
 撮影開始前、ジャン・ギャバンはルノワールの企画を聞いていたく心を動かされたと言う。資金不足に陥っていたルノワールに資金調達を申し出て、企画の実現に大いに力を貸したとのことだ。しかし、そのことを吹聴はしなかったという辺り、ギャバンの人柄が偲ばれるエピソードだ。
 さてストーリーは、第一次世界大戦中、フランス軍の大尉ド・ボアルデューと中尉マレシャルの乗った偵察機が独軍に撃墜され、二人が捕虜になることから始まる。思いがけずドイツ軍の大尉ラウフェンシュタインに二人は歓待を受け、戦地とは思えない昼食をご馳走になる。
 その後、ド・ボアルデューとマレシャルは、捕虜収容所に移送される。何度も脱走を試みるが、全て失敗に終わる。
 遂に二人は他の捕虜と共に、絶対に脱走できないと思われる石造りの要塞に送られる。しかし、前にいた収容所の仲間も巻き込み、脱出計画に余念がない二人。ある夜、ド・ボアルデューは、一計をめぐらせ、わが身を危険に晒して、捕虜仲間の脱走を手助けする。最終的に脱出に成功したのは、マレシャルとユダヤ人銀行家の息子のローゼンタールだった。
 二人は、身に危険の及ぶことのないスイスまで逃げ切ることができるのだろうか・・・

 大まかなストーリーはこんなところだが、この映画が製作された1937年当時は、第二次世界大戦への動きが少しずつ始まっていた時期だ。監督のルノワールは歩み寄る戦争の機運を感じ取り、反戦の意を込めてこの作品を作ったという。 

 大方の戦争映画に反して、この作品での戦争の描き方は、友好ムードに満ちている。敵国のドイツ軍の大尉が、撃墜したフランス軍の軍人を食事でもてなしてから捕虜収容所に送るなど、紳士的な雰囲気さえ漂っている。こういうところは、いかにもフランス人のルノワールらしい。
 収容所でも、フランス人部屋では、裕福な銀行家の息子の元に届いた差し入れの品々で食事をしている。メニューはトリュフやチキン、イタリアのパスタなど。それにお酒はパリのフーケから届いたコニャックという豪華さだ。

 また、激しい戦闘シーンもなく、傷ついた兵士が登場する場面も稀で、通常の戦争映画とは趣が異なっている。それでも登場人物たちは、戦争なんて早く終わって欲しい、もう二度と戦争はイヤだ!という意思を露わにしている。
 戦場の悲惨な様子を描かなくても、戦争反対を主題にすることはできるのだと、観る者は納得する。

 この映画のタイトルとなっている『大いなる幻影』とはどういう意味なのか?こう自問する観客は多いことと思う。作品中にも「幻影」という言葉は何度も出てくる。いずれも「戦争のない世界なんて幻影さ」あるいは「戦争がこれで最後だと思うなんて、それは君の幻想さ」と言った調子だ。この場合、幻影も幻想も同じ illusion という言葉だが、日本語にすると、少しニュアンスが違ってくるかもしれない。
 ともかくも、戦争に参加している人間ですら、嬉々として戦っているわけではないのだ。
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 更に、反戦映画なのだから戦場を描写しているが、構図が、余りにも美しく決まっているので感嘆してしまう。モノクロの優れた写真集を見ているように、全てのシーンが完璧だ。私が特にすごい!と思ったのは、収容所でド・ボアルデュー以下、俳優のカルティエ、ユダヤ人の金満家のローゼンタール、測量士や学者などが窓辺に集まっている場面だ。一人一人の顔に物語が感じられ、全体でとても奥行きのある集合写真になっている。
 この収容所の同室仲間はとても結束が固い。連帯感に貫かれて、脱走のためのトンネルを毎夜掘り続けている。秘密厳守の計画だから、お互いを信頼し合わなくては成立しない。まるで他人の、知らない者同士が偶然同じ部屋に寝起きし、寝食を共にするうちに抱き合う共感もまた、この映画のテーマであろう。
 貴族、労働者、俳優、学者など様々な階級、職業の六人がお互いをリスペクトしあい、脱走という一つの目的に、協力して向かうさまには感動を覚える。

 それから感心したのは、主演のジャン・ギャバン演じるマレシャル将校とピエール・フレネ演じるド・ボアルデュー大尉の対比が鮮やかなことだ。二人はともに戦って随分な月日がたつが、身分の差ゆえに、いまだにお互いの間に壁がある。しかし、この壁はマレシャルが一方的に感じ取っていら立っている節もある。ド・ボアルデューは「母にも妻にも丁寧な言葉遣いで話す」と、打ち解けようとするマレシャルを取り合わない。
 フランス語には二人称の「あなた」に “ vous ” と “ tu ” の二種類があるが、親しくなると tu を用いて会話をすることが日常的だ。しかしド・ボアルデューはいつまでたっても敬意を含む vous を使って話すので、マレシャルは不満を隠せない。私自身も「いい加減に tu で話そう」と言われたこともあり、また、つい vous を使ってしまうと非難された経験がある。
 その時には、こんなことで傷つくのかなと驚いたが、人によっては、すごく冷たいと感じ、拒絶されたような気持になるのだそうだ。日本語にはない感覚なので、気を付けなくてはいけない、と気を引き締めた一瞬だった。
 そんな訳で、マレシャルはいつまでも距離を縮めないド・ボアルデューに対し、やりきれない気持ちを抱いているわけだ。

 確かに、貴族や上流階級の人々の間では、どんなに親しい人や家族の間でも決して tu は使わないと決めている人々も入るから厄介だ。ともかくも、マレシャルはド・ボアルデューの態度に悪気はない、と理解していても、もう少し心を開いて欲しいと願っている。 
 このような普段の習慣から来る、日常の言葉遣いや立ち居振る舞いの違いは、日本でも存在するだろうが、恐らくフランスの方が顕著であると思われる。フランスは階級社会である、と言われる所以だろう。

 なるほど、ド・ボアルデューは常にエレガントで洗練された態度を崩さない。仕草も優雅で、貴族出身なのは一目瞭然だ。しかし、滅びゆく特権階級の宿命を自覚している彼は、退廃的な気分もまた、醸し出している。これからの時代を切り開いていくのは、逞しい庶民階級だと、分かっているのだ。
 ドイツ軍の大尉、フォン・ラウフェンシュタイン(彼も貴族出身だ)とも「我々は滅びゆく身だ」と意見が一致している。二人はともに上流階級の出身ゆえ、共通の知り合いも多く、何かと話が合う。

 しかし、ド・ボアルデューはマレシャルとローゼンタールを逃がすために打った作戦のため、ラウフェンシュタインに撃たれ負傷し、それがもとで命を落としてしまう。一方、ラウフェンシュタインの方は満身創痍とは言え、生き延びて、時々はリキュールを煽り、何とか鬱々とした気分を紛らわせている。
 どちらも、没落していく運命にある者の身の処し方であるだろう。そして、この映画の中では二人の名優がまことに見事に演じている。

 一方、逃げ延びたと思われるマレシャル、ローゼンタールの二人にも、危機は訪れる。しかし、運命は二人に味方し、行く先々で、もうダメか、と思う瞬間に救いが訪れる。この辺りのルノワールのストーリー・テリングはまことに巧みだ。
 ドイツを転々としながら彷徨う二人をかくまうドイツ人女性との淡い恋も織り交ぜながら、マレシャルとローゼンタールの逃避行は続く。
 全ての人が抱く戦争の消滅を願う気持ち、戦争がなかったら友達にならなかった人々との邂逅、消えゆく階級と勃興して行く階級の存在、こうした崇高でありながら普遍的なテーマを芸術の域に達する作品にまとめ上げた監督ルノワールの手腕には敬服するばかりだ。

 『大いなる幻影』の台詞にも少しだけ触れておこう。真面目なテーマを扱う薫り高い映画であるが、登場人物たちの会話には、品格とユーモアが混じり合い、堅苦しい作品には決してなっていない。例えば大尉ド・ボアルデューが脱走を企てている時に言う台詞「ゴルフ場はゴルフを、テニスコートはテニスを、そして収容所は脱走をするところだ」を聞くと、クスリと笑いがこみ上げてくる。こういう名言を聞くと、フランスとは会話のセンスを競う国なのだということが分かってくる。

 国を滅ぼし、人々を悲しみの底に突き落とす戦争とは、と問う『大いなる幻影』をじっくりと観て、心に迫ってくるものがあった。歴史上かつて二度の世界大戦が起こったが、再び世界中が戦争に巻き込まれる時代が、巡ってこないように祈るばかりである。

 さて、当コラムも最終回を迎え、お読みくださった方々に心よりお礼申し上げます。短い間でしたが、フランス映画の魅力をお伝えすることができましたなら、ほんとうに嬉しく思います。また、映画のよもやま話を綴る機会が訪れましたら、お読みいただけますよう、よろしくお願いいたします。

 


著者プロフィール

月刊『La rose des vents「風の薔薇」』毎月3日公開

田村 恵子 (青木 恵都)

東京生まれ。
文学、映画とパンをこよなく愛する。アポリネール、ヌーヴェル・ヴァーグ、ハード系パンが好きです。最近は夫が立ち上げたタムラ堂刊行の『夜の木』などを青木恵都という名で翻訳。
タムラ堂