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閉店、閉点、閉展

 「一路多彩」も43回、いよいよ大詰め、できれば空に浮かび、水に漂い、地を穿つような3つの断章を添えて、ここに手向けて、流れを結びたい。

 閉店・・

 これまでにもお話ししたが、私はル・プチメックの今出川店にもほど近い、京都市の上京区に暮らしている。そばには、平安京造営のため運河として拓かれた堀川が南北に貫く。いまはせせらぎと遊歩道に整備され、ドラマなどの撮影にも使われることがある。
 川の西側を走る堀川通は広い。拙宅は東側、狭い東堀川通の最寄りになるが、西側もかつては狭かったという。市内にはほかにも広い道路が見られるが、そうなったのも先の戦争以来だと聞いている。理由は、空襲による延焼を少しでも食い止めるためで、住民に強制的な立ち退きが求められた。私の家族も少し南から移ってきた。広くすることで、飛行機の緊急発着も考えたようだ。
 第二次大戦中、京都の空襲はごく限定的なものにとどまったが、幕末の禁門の変(1864)、つづく戊辰戦争・鳥羽伏見の戦い(1868)をふくめ、時をさかのぼれば何度も焼け野原になっている。それが証拠に、中心部では千本釈迦堂に残る鎌倉期からの建物や収蔵物が最古の文化財で、「栄華」を謳われる平安期のものはことごとく失われている。地震にしても文政の大地震が最後だが、南海トラフとともに、直下型がいつ起こってもおかしくない。
 その前回の大地震については、江戸時代のお陰参りを調べている時に知見を得た。参詣は60年くらいの周期で巻き起こるが、文政期のものの記述を見ていると、各地で沿道からお参りの人々に飲食が提供される。今風に考えると、マラソンの補給所なども連想されるその支援が、あるとき京都で中断する。1830年8月19日の大地震でそれどころではなくなった。さらに30数年後には幕末の戦乱となり、焦土を残して首都は東京へ移る・・・・
 堀川通の西側の一角に商店街がつながる。交差する東西の通りで言うと、北は中立売から丸太町近くまでの1キロ弱になるが、古い3階建ての公営住宅の一階に店舗が並ぶ。幼稚園児のころからしょっちゅう歩いたが、幾星霜もへて有様は転じた。シャッターストリートは何とか免れるものの、多くの店が消えていった。そんな一軒に化粧品店がある。私も芝居の舞台では化粧をしたものの、こういうお店に入ることはない。デパートの1階も足早に通りぬける、がしかし、妻がよく利用していた。
 その彼女に一昨年であったか、閉店のお知らせが届いた。それを見て私は、ああ、ここもとうとう閉まるのかと思ったが、綴られた別れの文の一節に目が留まり、想いもギアチェンジを余儀なくされた。・・・・「この地にあって、150年受け継いできた店を閉じることは慙愧に堪えません」・・・・そのまま静かに言葉をなくした。道路の拡張と公営住宅の造作から見て、戦後まもなくの創業かと勝手に思い込んできた。全国どこの商店街でも見かける化粧品屋さんの明るい佇まいの奥に、暗闇も含むであろう長い時間の堆積があることに気づけなかった阿呆である。
 一軒のお店に受け継がれた歴史と苦楽相伴うさまざまな人間模様だけをとっても、たとえばゾラの、プルーストの、以前取り扱ったセリーヌの、さらに本邦から引けば谷崎の、手法は異なるとはいえ、文学作品のテーマとして十分に取り扱われるべきかけがえのないものがここにも横たわる。非才の私であっても、これが30代の前半であれば考えぬでもない。せめて今からでも、何らかの小品は練り上げたものを献じたいと思う。
 しかし考えてみれば、商店のみならず、町工場、お風呂屋さん、公共の施設、いや、一戸一戸の家族、民家が代替不能な時間の厚みを貯えながら、感情とともに体を静め想いも巡らせ、いまも、いつも刻々、自らを積み上げる。私たち「作家」、私のような「文芸人(ふみげいにん)」が謙虚に努力を傾ける原点がここにも見出される。このコラムではあまり率直に政治的な事柄には言及をしなかったが、政治という営為がもっとも豊かに想像力を働かせて尊重しなければならない対象が、ここからもとめどもなく汲み取られなければならない。そうではない思考に政治を語る、ましてや自ら担うような資格はない・・・・扉は世界のどこでも開かれている、何よりも大切なのはノブに手をかける勇気、手をかけようとする不断の努力、必ずノックをすることも忘れず。

 閉点・・・

 もうかなり前から私の長篇に登場し、今ではしっかりと根を張るキャラクターのひとつに〈少年少女〉というのがある。
 〈少年少女〉は〈少年少女〉、それだけに尽きて、姿形の描写はほぼ皆無だからお化粧も要らず、ファッションも気にならず、男女の境もやすやすのりこえ、予め合体しながら自己主張をする。言葉だけはしっかりと手放さず、いつも群なし行動して、私も折に触れかれらの中へ潜り込んで、ひとときの安らぎを得る。最終回を迎えて、ようやくかれらもこの地にやってきた。そして私に尋ねる。
「ねえ、ハヤブサ」
 ハヤブサ(隼)とは、10代の役者時代から用いる私の芸名にして、ペンネームである。
「ん?」
「ここは今月で終わりなの?」
「そうだよ」
「そいじゃ、私たちが止めを打ってあげよう」
 何をされるのかと思えば、左右一対、大きな翼が私に手渡された。
「これはどうもありがとう。どちらが少女で、どちらが少年?」と尋ねると、透かさずお叱りを受ける。
「〈少年少女〉を産み出してくれた当のアンタがそれを二つに分けてどうするんだい。右は絶望、左は希望、両方羽搏かせて舞い上がると、新たな未知が開かれる」

 閉展・・・・

 Alter Ego=もう一人の私、これも創作の中で探しあぐね、それでもこだわり、これからも追い求めるテーマだ。たとえば戦場で倒れた敵同士、そこで2人の兵士がお互いのAlter egoに初めて出合う。形姿も心象もそっくり同じ者がこの世に3人は存在する、そんな伝説、俗説の類いを耳にしたこともある。
 台風が近くを通る。フィリピンでも地震が続く。山鳴りがする。雷鳴の中にわだかまりの海の香りが立ち上がる。空想の津波に乗って、夢想の竜巻に餌を撒いて、〈少年少女〉が寄せては返す。かれらもまた問う。
「ねえ、私たちにもalter egoはいるのかい」
「いるよ、どこにでもだれにでもいるよ」
「そいつもやっぱり〈少年少女〉?」
「でなければ、どうして〔もう一人の自分〕になるんだい」
「そうか」
 合点が行くと、あたりは静寂に包まれた。光の在り処も、闇の所在もまだわからない。新たなる未知も開かれ、私は翼を羽搏かせた。〈少年少女〉が最後の問いをかけてくる。
「コラムが終わって、どうするんだい?」
「これまで通り、毎週、今出川のお店に出かけるよ、パンを求めて」
 すると〈少年少女〉が素朴な問いを残して姿を消す。
「そんなに美味しいの?」
 私は姿なきものたちに答えを返す。
「でなかったら、20年も食べ続けるかい?」
 物言わぬ、頷きの気配が皓皓立ち込めた。

 


著者プロフィール

mensuel『一路多彩 -pluralité unique-』毎月10日公開
nina蜷川泰司(にながわやすし)

文芸作家。1954年京都市に生まれる。
長篇『空の瞳』(現代企画室)で2003年にデビュー。かたわら今日まで、通信誌やホームページに数多くのコラムや論評を執筆。
『子どもと話す 文学ってなに?』(2008 現代企画室)
『新たなる死』(2013 河出書房新社 作品集冒頭の「コワッパ」はル・プチメック今出川店に取材する)
『迷宮の飛翔』(2015) 『スピノザの秋』(2017 いずれも河出書房新社)
この2点は長篇の連作『ユウラシヤ』のプロローグと第1部にあたる。
次回作品『ゲットーの森』(仮題)は2019年に刊行の予定。